はらちゃんとわたしたち

泣くな、はらちゃん
日本テレビ系毎週土曜夜9時
http://www.ntv.co.jp/harachan/

いちばん最初にあらすじを知ったとき、漫画から出てきたヒーローが荒唐無稽な活躍をして、泣いてばかりいるはらちゃん(わたしは最初はらちゃんが麻生久美子だと勘違いしていた)を助けるドラマだと思っていた。だって主役が長瀬だもの、深く考えないで放ったワンツーパンチがクリティカルヒットして、はい一件落着!ってなるもんだとてっきり思っていた。
違った。
はらちゃんは、越前さんが描いた漫画から飛び出してきた主人公だった。
(ネタばれするので隠します)
予想もしない方向に、どんどんと話が深くなっていく。
これはQ10のときと同じ感覚だ。白石加代子とチャン・リン・シャンこと薬師丸ひろ子が同じような役で出演しているのも錯覚を起こす一因なんだろう。
二次元の存在との恋。
限りある人間の生命と、死ぬことのない漫画のキャラクター。
漫画に描くことで彼らの運命は自由自在、すなわち自分は神になれるという突然の自覚。
全然スパイダーマンみたいな話じゃなかった。スパイダーマンも苦悩してるみたいだけど、なんか次元が違うというか、はらちゃんはとても身近なのだ。
はらちゃんは何も知らないので、すべての事柄を人間に質問する。人間も首をひねりながら、それでもわかりやすい言葉で置き換えようとする。そうしてみて、初めてその言葉の意味と対峙する。
はらちゃんは「抱きしめる」という言葉の意味を知らない。だから越前さんは不本意ながらもやってみせるしかない。そこで初めて越前さんは一歩前に踏み出す。言いたいことをひとつも言えず、ずっと漫画の中に不満をぶつけてばかりだった越前さんが。
そしてこないだ放送の5話で、はらちゃんに「チュウ、またの名はキス」の存在を教えた気のいい工場長が、酔っ払って波止場で足を踏み外し、あっけなく溺死した。
この死に方が、ほんとうに胸に迫った。死は、あまりにもあっけないのだ。
死ぬことの意味をはっきりと理解してはいないものの、この世界から消えてしまったという事実に胸を痛めるはらちゃん。工場長とはそんなに仲が良くなかったのに、「もう人が死ぬのは嫌なの」と号泣する越前さん。
かつて工場長に「漫画の中の人間は死にますか?」と質問したはらちゃん。「そりゃ死なないなあ。いいよなあ、漫画の中は」と工場長が言ったことを思い出し、工場長を漫画に登場させることを越前さんに提案する。
「新しい友達が増えました!たまちゃんです!」
満面の笑顔で登場したたまちゃん=工場長を見た瞬間、わたしは自分でもびっくりするほど号泣していた。
あの日、たくさんの人があっけなく死んだ。そのあとも、海外で、交通事故で、病気で、あっけなく理不尽に命を落とした人がたくさんいる。
せめて、死んでしまった人たちが、こうやって生き続けられたらいいのに。
ああ、なんて夢があるんだろう。越前さんの筆でよみがえった工場長に、わたしは遥かな気持ちになった。
このドラマは漫画描きへ最大級の賛辞を捧げたドラマだとわたしは勝手に思っているのだけど、観る人それぞれ心の響く場所がきっと違うんだろう。漫画の登場人物はみんなまっすぐに物を言うからそこに人間が心を乱されていて、こういう男らしさって最近のオトコには足りないわあ、求む!マンガ系!の時代なんだわあとか、ある日突然漫画の主人公が飛び出してきたらわたし信じるかなあ、案外あっさり信じてしまいそうだなあとか、どんどん思いが派生していって、ますますドラマが楽しくなる。
漫画好きには、それぞれのはらちゃんがいる。わたしにも後藤隊長*1という名のはらちゃんがいた。好きすぎて夢に出てきたこともあるくらいだ。だから自分に置き換えてみてもとっても楽しい。それぞれのはらちゃんをみんなでプレゼンしあうのも楽しいだろう。それで新しい漫画との運命的な出会いがあるかもしれない。ただのオタクの集会になるだけだと思うけど。
それから、タイトルも少し意味深だ。確かにはらちゃんは毎週いろんな感情を知っていろんな種類の涙を流している。「泣くな」と呼びかけているのは誰なのか。越前さん?今のところそんな兆候はまったく見られないが、越前さんがはらちゃんのために一肌脱ぐのだろうか。
百合子さんはあの矢東薫子なのか、ユキ姉にはどんな過去があるのか、はらちゃんと越前さんはこの先どうなるのか、物語をどうやって着地させるのかかいもく見当がつかない。長瀬のドラマはほんとにアタリが多いなあ。楽しいドラマは1週間を充実させてくれるからたまらんね!

*1:渋くてごめんなさいね