たぶんオーライ(願望100億%ver.)

11月の終わりから引いている風邪がまだ治りきらない。
風邪だけではない無気力や倦怠感がひどくて、何も手につかないまま12月が、2016年が終わろうとしている。
2016年が終わるということは、SMAPのいない日常が始まるということだ。
SMAPの解散騒動で始まった2016年が、「SMAPの解散」という決定事項を突きつけながら終わっていく。
不穏な雰囲気になってからわたしはスマスマを観なくなり、いろんな人のいろんな意見から目を背け、話題を振られても「やるせないですね」などといなし、完全に現実から逃げ続けていた。
どれが真実かわからない流言飛語が流れ、25周年だというのにラストライブも新しい音源がリリースされることもなく、本人たちの口から何も語られずに12月を迎え、紅白の出演もなくなり、メンバー不在のままスマスマが終わってしまった。
わたしは放送を観ながらずっと泣いていた。
最終回が終わってツイッターを開いた。いろんな人がいろんなことを言っていた。最後の最後までフジの悪いところが出ていた、まるで葬式みたいだ、いなくなってから急にありがとうみたいなこと言う外野の言葉が憎たらしい、最後まで彼らの言葉で語らせない事務所は極悪だ、解散しないでという言葉は呪縛でしかない……おそらくそのどれもが正しくて、間違った意見なんてひとつもないのだろう。でもわたしはそういう言葉を受け止めたり受け流したりする術をすっかり見失ってしまって、勝手に傷つきながらそっとツイッターを閉じた。
わたしはスマオタじゃないけれど、近しい友人に年季の入ったスマオタがいたので昔からSMAPのことはよく知っていたし、初めての遠征はSMAPだった。

半券整理をしていた時期もあった。
注釈まで書き加えられているけど、この会場はだだっ広い体育館みたいなところで段差もなく、メインステージだけでバックステージもトロッコもなかったため視界も悪くて若干疎外感を感じていたのだけど、最後の最後、おそらくアンコールで中居さんだけが上のキャットウォークみたいなところを通ってうしろまで来てくれたのだ。いまだにあのときの感動と中居さんのくしゃっとした笑顔を忘れられない。
大いに感激し、単純なわたしはこの日から中居推しになった。
それから誘われるまま数回コンサートに行き、実質最後になってしまったMr.Sツアーの東京ドームで、わたしは奇跡のような体験をする。
年季の入ったスマオタの友人と一緒に入るはずだったのだが、彼女は当時身重で出産予定日も近かったため泣く泣くわたしにチケットを託してくれたのだけど、それがセンターステージの前から3列目ど真ん中という神席だったのだ。
今までははるか遠くからしか、しかも同じ空間にいるとはいえスクリーンを観ていることのほうが多くて文字通り雲の上の存在だった彼らが、人の大きさで5人揃ってメインステージからこちらに向かって花道を歩いてくる。そのオーラと存在感と華々しさはとんでもなくて、わたしは同行の友人と「うわー!うわー!」と言い合うことしかできず、ただひたすらに圧倒されまくった。まるでアニメみたいに全身に鳥肌が立つ様子が手に取るようにわかった。それだけ、あの5人の輝きはものすごかった。今までいろんな現場に入ってきたけれど、ここまで圧倒されたのは初めてだった。まさに圧倒、圧に倒されるとはこのことか!と熟語の成り立ちを身をもって理解するほどだったのだ。
わたしは夢の中にいるような気持ちでステージを見上げていた。観ることにこんなに夢中になったことはこれまで一度もなかった。集中が途切れないというか、ものすごい緊張感でステージの彼らと向き合っていた。あまりに近すぎてどこを観ていいのかわからない。ゴロさんの上着の放り方がちょっと独特で面白かったり、しんつよがほんとに仲が良かったり、中居さんがちょっと疲れてたり、そして木村のキムタク力が半端なくて心の底から脱帽したり。
これまで席が遠かったからカメラに抜かれるメンバーしか見えなくて、木村だって例に漏れずだったのだけど、彼は常に、常に木村拓哉なのだ。片時も気を抜かないというか、おそらく彼は長年の積み重ねで自然とそうなってしまったのだろうけれど、常に笑顔で、もはや地顔がキメ顔で、舌出しておちゃめに笑う表情も完璧で、頭をハリセンでうしろからスパーンと叩かれたみたいに一発で心酔してしまった。
スーパースターモンスターだと思った。果てしなく語呂が悪いけれど、そう思ってしまったのだから仕方がない。
それからわたしはここに至るまでの彼の覚悟や努力や決意を思って、でもそんなのわたしごときが計り知れるものじゃなくて、だけど勝手に思い巡らせては心から感服し、同時に切ない気持ちになった。
まさかあのコンサートが最後になるなんて。いまだに彼女にあの絶景を見せられなかったことが、わたしの中で十字架のように重くのしかかっている。
結局わたしは何を言いたいのだろう。
諸悪の根源はあのババアだ、早くくたばれ!ということなのは確かだけど、何度も何度も致命的とも思えるピンチを切り抜けてきた彼らだから、今度も絶対大丈夫だと思っていた。
そんな彼らをもってしても大丈夫じゃないことってあるんだなって、とても空虚な気持ちになっている。
解散してほしくない、確かにそうだけど、解散だけが終わりではない。解散だってひとつの手段なのだ。生き延びるための。
わたしは米米CLUBを心から愛していて、今までもこれからもそれを上回る存在に出会うことはないのだけど、米米解散前の瀕死の状態がとてもつらかったから、解散ライブで東京ドームに「押米(おしまい)」の文字が現れたときに心のどこかでほっとしたことを覚えている。
てっぺいちゃんが映画を撮ったあとから様子がおかしくなって、学生時代からの仲間だったメンバーが辞め、メンバーが頻繁に変わり、しまいにはサポートメンバーも正式メンバーになり、2パターンあったライブも1メニューのつまらない内容になり、彼らの売りだったふざけた歌も頑張ってふざけてる感が伝わってきて、とにかくつらくてつらくて仕方がなかった。
好きなものを愛せないほどつらいことはない。
彼らは解散し、わたしは米米のライブビデオを見返すことができなくなった。もうあの楽しい時間には二度と戻れないと絶望的な気持ちになってしまうからだ。
しかし、愛する人たちがつらそうにしていたり、落ちぶれていくさまを見ることはなくなった。つらくてつらくて体が半分になってしまったような気持ちだったけれど、少しすっとした。新しく次へ向かう覚悟ができた。実際わたしは間髪を入れずミッチーのファンになった。
それから9年経ち、やがて米米は再結成する。そんな未来がやってくるなんてあのときは考えもしなかった。ユニコーンだってイエモンだってレベッカだってプリプリだって再結成してまた夢を見せてくれた。米米は3年前のシングルリリースを最後にうんともすんとも活動してくれなくなり、いっそもう一回解散すればいいじゃんってイライラしてるんだけど、それはまた別の話だ。根が深い。
生きていればまた会える。みんな引退してしまうわけではない、これからだって会うことはできるのだ。あんなことがあった光GENJIだってちょっとずつ再集結したりしてるじゃないか。
某人気タレントの人が取材で「何を言っても何か言われるし、何も言わなくても何か言われるんです」と疲れ果てた声で話すのを聞いたことがある。彼らもまさにそんな状況なのだろう。共演者が「中居くんがスタッフに何々を贈ったらしい」と関係者面して話すのにもきっと疲れているに違いない。紅白も出ない、スマスマ最終回も生出演なし、最初はそれがほんとうに悲しかったけれど、彼らが決定的なアクションを起こさないことで見えてくる希望がある。事務所に口止めされてるんだとか言う人もいるけど、わたしはあえて何も語らないでいるようにしか思えない。解散します、これで最後、さようなら、言葉なんて全部薄っぺらでただの音でしかない。生放送じゃなかったけれど、彼らが最後に歌った「世界に一つだけの花」はどんな言葉よりも雄弁だった。今の彼らがあの歌を選んだ意味も、中居さんのあの泣けるハンドサインも木村のサムズアップも、もう希望にしか思えない。セットといい最後のお辞儀といい、葬式にしか見えなかったと苦々しく言う人たちもいたけれど、わたしはちっともそうは思わなかった。むしろ彼らの前途が花に飾られているようで、号泣しながら少しうっとりしてしまったくらいだ。言い過ぎか。でもいいんだ! 最後の最後に初回のオープニングが流れたのもソフトバンクが粋なCMを流したのもぜんぶぜんぶ愛のなせる技だ。誰も得しないのになんで解散するんだってファンじゃない人にまで言わしめるSMAPすごいぞ! 惜しまれすぎてるぞ! さすが国民的アイドル!!
一昨日の放送後からずっとへこんでいて、夢にも剛が出てきたし、昨日なんか気圧のせいもあってずっと寝たり起きたりして何も手につかない状況だったけど、ぐるぐる考え続けた結果とつぜん希望論が飛び出してきた。自分でもびっくりだ。ていうか、そう信じなきゃやってられんのだ。進むためのひと休みだ。言霊言霊!!
SMAPは滅びぬ。何度でも蘇るさ」って、わたしの中のムスカが言ってる。ふたつ前のエントリのタイトルとかぶってるけど気にしないよ。彼らならきっとちょうすごい起死回生してくれるに違いない。違いないんだ。