さよならまみさん

サバサバしててかっこいいね、と言われたい人生だった。
ほんとうは誰よりもドロドロしていてコンプレックスにまみれた愚痴だらけの女なのに、調子よく人の相談に乗って姐さんと呼ばれたり、あえて痛点を麻痺させてものわかりよく振る舞ってみたりした。だけど内心ではマグマが燃え盛り、人の幸せを憎み、ののしり、そんな自分に心底嫌気がさすという負のスパイラルに陥っては買い物依存症になって毎日のようにダンボールが届く日々が続いたりした。そんな日常を涼しい顔で乗り越えるのが大人だよねと下唇を噛みながら暮らしていたら、「ぴよまるさんは強いよね。ひとりでもやっていける人だよ」と定型文で振られる始末。
出会いはいつどこでだったかまったく覚えていないけれど、誰かのブログにリンクが貼ってあったのだと思う。女だてらにAVライターってすごい、AV借りる勇気はないけど女の人の書くレビューなら読んでみたいという下衆な興味がきっかけだった。
「弟よ!」、それが雨宮まみさんのブログのタイトルだった。
まだ著書を出すずっと前で、わたしは顔も見たことない彼女の姿を想像しながらその文章に耽溺した。宗教にはまる人の気分ってこういう感じなんだろうなと思った。なんだったらえろい文章が目的だったのに、彼女のレビューは女というどうしようもなく逃れようのない性に優しく寄り添った独自の目線を持っていて、涙腺が緩んだこともしばしばだった。この人の綴る「セックス」という言葉には胸に迫る切なさがあった。
いわゆるファンだったのだと思う。わたしは「穴の底でお待ちしています」というお悩み相談のコラムがとても好きで、わたしの気持ちを代弁してくれる相談者さんに自分を重ねながら、彼女の優しい叱咤激励を何度も何度も読み返しては涙を流した。わたしはただの記号である文字の羅列からこんなにも体温を感じたことはない。自分も悩みを投稿しようと思って泣きべそをかきながら下書きをしたためたこともあったけれど、まみさんの目に触れるかと思うと下手な文章を書くことはできないと何度も逡巡しては書き直し、結局いまだにデスクトップに張り付いたままだ。しかしまさか自分が悩み相談を投稿したいと思う日が来るなんて想像もつかなかった。すべては彼女の熱のこもった文章と優しさのなせるわざだった。
ツイッターもインスタも即フォローし、わたしは彼女の姿をこの目で見て、なんとキリッとした美女だろうとさらに心酔した。わたしの好きな界隈の人たちはことごとくまみさんと知り合いか友達で、好きな人には好きな人が集まるのだと社交界でグラスを傾け合う貴族たちを輪の外から眺めるような気持ちでその動向を見つめていた。彼女が紹介する素敵なものはすべてチェックし、実際展示会に足を運んだこともあった。そのすべてが琴線に触れるようなものばかりで、でもわたしにはどうしても似合わなくて、こぼれるような笑顔で素敵なものを身にまとうまみさんの姿を見てはまた胸を焦がした。
今まで誰かを好きになることはあっても、同性の誰かに憧れることはなかった。そのバージンを奪ったのがまみさんだった。彼女みたいになりたいと本気で思い、焦れたような気持ちで彼女の文章を浴びるように読み続けた。しかしそれをここまで渇望したのは、彼女の内側で燃える紅蓮の炎があまりにも鮮やかだったからに他ならないのだ。
ほんとうに人の痛みをわかる人は、自分も同じかそれ以上の痛みを経験した人だ。そういう人の書く文章(に限らず映画でも音楽でも)はなんとも言えない凄みがある。「40歳がくる!」という連載に、こんなくだりがあった。

「雨宮さんは最近どうなの?」「いや、40歳くるの、やばいよね」「どうやばいの?」「40歳直前の時期っていうか、今もだけど、ありえないようなことばっかりで、今年はめちゃくちゃ。今も8月だとか言われても、全然もう、そんなこともわかんないぐらい、アップダウンが激しい。時間の感覚が歪む」「あー、もともと雨宮さん、そういうとこあるよね」「メンヘラって思ってるでしょ」「いやいや、まぁそれもあるけど」「もともと不安定だけど、ちょっとやっぱり今年の波は普通じゃないよ」「でも、そういうときって、仕事はさ」「できるんだよねえ。死ぬほど書ける。もう書けないものはないぐらいに思う日もある。実際は、そこまで書けるわけじゃないんだけど、書けるよ。普通のときよりも」。
(中略)
「ネタにさ、命賭けちゃダメだよ」。今田さんは帰り際にそう言った。「いくら面白いものが作れるかもしれなくても、命取られるとこまで追っちゃ、だめだよ。追いたくなるけど、この年になって思うのは、やっぱ命取られるようなとこまで行っちゃったらダメだなってことだよ」「自分の人生を食いつぶされるほど、何かを深追いしちゃダメってことだよね」「うん。それをやる人もいるし、それが面白い人もいるけど」。

話は逸れるが、わたしは高校生のころ小説家になりたかった。受験勉強をしながらその時高野悦子の「二十歳の原点」を読んでいて、わたしはいったい何をしてるんだ、受験勉強なんかしてるヒマなんてないし現状わたしは幸せすぎる、こんなんじゃいいものが書けるわけがないと思って勝手にイライラしていた。今思えばただ単に現実逃避したかっただけなんだろうけど、表現者にとって不幸は不可欠なものだと本気で信じていたのだ。
しかし実際、不幸はモチベーションになる。少なくともわたしにとっては。このブログだって結婚してからちっとも更新しなくなってしまった。わたしが地獄の淵まで追い詰められていた時に開設した鍵付きのはてなダイアリーがあるのだけど、今読み返しても鬼気迫る素敵な文章だなと思う。誰にも見せられないから自画自賛しておく。
そんな過去があったから、まみさんのこの文章を読んでわたしははっとした。そしてまみさん、生きて、と思った。
しかし彼女はいなくなってしまった。報せは突然すぎて、突拍子もなくて、うそだろ、うそだろ、うそだろと混乱しすぎて、その時実家でお昼ごはんを食べようとしていたわたしは母親に「何聞いても生返事でなんなのあなたは」と怒られた。
嘘じゃなかった。わたしと同学年で、40になったばかりで、「40歳で人生が始まる」というタイトルのコラムを遺して、彼女はいってしまった。
何も手につかなくて、母親に説明しようとしても「テレビに出てる人?」などととんちんかんなことを言われて腹が立つばかりなので、とにかく動こう!と思った。ちょうどレジンをやりに実家に来たから、せめて手を動かして気を紛らわさないと、と気合を入れてめずらしくたくさん作った。

まみさんが見たらきれいって言ってくれるかなと思って、初めて花のモチーフを使って作ってみた。会ったこともない、知り合いでもない人をイメージして何かを作るなんてまったく初めてのことだった。きっとこのアクセサリーをつけるたび、わたしはまみさんのことを思い出すだろう。
その夜は全然眠れなくて、布団の中で彼女のツイッターをずっとさかのぼっていた。まみさんが返信していた人のTLを追って追悼の言葉を探したり、彼女が好きだと言っていたブランドやアクセサリーをいまさらながらお気に入りに入れたりした。

生き残って私たちはまた会う。必ず。絶対なんてない人生だけど、約束ぐらいはしたっていいんじゃないか。どんなことでも、生き残っていれば、いずれ、たいしたことのないことに変わっていく。何度でも、追いかけて、深追いして、傷ついて、いずれそんなことをしなくても別の情熱が、健全な情熱が生まれるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。書けなくなるのかもしれない。そのどれが幸せで、そのどれが不幸かなんて、他人に決めさせてやるものか。私が決めることだ。

先に引用した文章はこう続いている。まみさんは彼岸の人になってしまったけれど、そう力強く断言してくれた。彼女の年齢を追い越してわたしはどんどん歳を重ねていく。歳の取り方、人生のあがき方をもっと教えてほしかった。でもこれからは自分で乗り越えていかなければならない。これから人生の岐路に立つたび、わたしは彼女の文章を何度も読み返して答え合わせしたり、自分のやりかたを見つけていったりするんだろう。頭の中の、想像のまみさんに話を聞いてもらって前に進んでいくんだろう。彼女が絶賛していた宇多田ヒカルのfantomeを聴くたび、わたしはまみさんのことを思ってしみじみとするのだろう。
ああ、まみさんのことを思うとしびれたみたいに頭がじーんとするよ。知り合いでもないのに涙がどんどん出てくる。
最後に、スターを100個つけても足りないくらい胸を打たれた追悼文*1のリンクを貼っておしまいにします。わたしの文章力じゃ言いたいことの半分も言えない。あー悔しい! 悔しいよまみさん! 同い年だから余計悔しいんだよ! なんで死んじゃったんだ!!

*1:能町さんは追悼してないけど、それが余計に胸を締めつけるよ