腹痛と五輪

朝起きたらそういう日なので腹が痛くて、でものろのろと出かける準備をして、だけどどんどん痛くなってきて、どう考えても遅刻の時間にようやっと家を出て、最初の信号まで歩いたら、携帯を忘れてきたことに気づきました。
どんよりしながら部屋に戻って、携帯を取って、そのままパジャマのズボンに着替えて、痛み止めを飲んで、ベッドに転がって、テレビを付けたら「200m平泳ぎ決勝!」とかゆってるから、おっと思って乗り出すわけですよ。
北島はめちゃくちゃ余裕の泳ぎであっという間に金メダルをとり、そして100のときみたいな感情の爆発はなく、世界新を出せなかったことに少し、不満そうな顔をしていました。
それでもわたしはベッドに横になったまま、表彰台のいちばん高い段に乗っても3位の人と同じ背丈になってしまう彼を見ていたら、涙みたいなものがどんどん垂れてきて、ああファンデーションがハゲてしまう、そう思いながら、彼はこうして華々しく世界の大舞台で戦っているのに、わたしはこうして1DKの狭い部屋で、会社に行くことをあきらめて腹痛と戦うばかりなのだなあと、「ゾウの時間ネズミの時間」みたいなことを考えていたのです。
あのとき携帯を忘れずに持って行っていれば、今日会社を休むこともなかった。部屋にまた戻ってきてしまったら、なんだか腹も思う存分暴れられると思ったのか、どんどん痛みが増して、わたしはあっけなく負けてしまった。
ささいなことだけど、大なり小なり人生ってこんなのの積み重ねなのかもしれんなあって思った。フェンシングで銀をとった彼も、フェンシングやってるお父さんの元に生まれなければ、まったく別の人生を歩んでいただろうし。
おもしろいなあと思う。
背泳ぎの準決勝で3位に入って決勝進出を決めた入江くんという人は、まだ18歳なんだそうだ。泳ぎは頼もしくてすごいのに、インタビューの誠実な受け答えと18歳らしいまだあどけなさの残る高い声を聞いて、なんだかときめいてしまった。腹を痛めながら。明日の決勝は会社のワンセグでみよう。顔も好きだ。
わたしが試合を見るとわたしのせいで負けてしまうような気がするので、ほんとうはあんまりリアルタイムで観たくないのだけど。でもわたしが見て勝っても、おいらのせいであいつがメダルを獲ったんだぜ!って気分にならないのはなぜだろう。それが典型的な日本人気質なのだろうか。
オリンピックになるとどうしても円谷幸吉のことを思い出してしまうのだけど、やはり日本はメダルの話になると悲壮感が漂っているように思えて仕方がない。そりゃあ昔よりは感覚も今風になって、メンタリティも変わってきているだろうけど、なんというか、つらい気持ちになる。やわらちゃんの会見でぼろぼろ泣きながら、もういいよ、充分すぎるほどよくやったよという気持ちと、でもまだまだ戦いたかったんだよねという気持ちがないまぜになって、大変やりきれない気分になったのだった。なんという精神力の強さだろう。頂点に君臨した者だけが見る光景が輝きに満ちているのは一瞬で、それからはいつこの座を奪われるかという地獄の日々が待っているというのに。
腹の痛い日特有の厭世的な気分が混じったテンションで文章を書いているので、自分でも何を言っているのかよくわからないけど、そろそろ薬も効いてきたし、せっかく休んだんだから国立博物館に行こうかなあという、そういうお話でした。アスリートにはアスリートなりの、わたしにはわたしの有意義な時間の使い方があるのだ。
北京でオリンピックなんて失敗しちゃえばいいのにって思ってたけど、選手たちのドラマはやっぱりすばらしいですね。