復活の日

大好物だったカップ焼きそばを完食できなくなったとき、わたしは自分の若さと訣別した。
俺の塩が、好きでたまらなかった。一平ちゃんとかUFOとかはそんなに好きじゃなかったけど、塩系の焼きそばなら毎日でもいいとすら思った。最初に勤めた会社で、よく食べていた。ちょうどお湯を入れた瞬間に電話がかかってきて、しかもよりによってそれがめんどくさい電話で3分以上は余裕でかかって、お湯をやっと捨てられた頃には麺がふにゃふにゃになっていて、箸をつけないまま三角コーナーに麺を捨てながら本気で泣いたこともある。
あれはいつだったか。最後に食べた日から、もう5年以上は経っていると思う。ある日、いきなり完食できなくなった。カップに半分以上残った麺を見つめながら、わたしは愕然とした。それが最初にわたしが感じた「老い」だった。
そして、てんやの天丼が完食できなくなった。
てんやの天丼が、好きでたまらなかった。昼に困ったら、とにかくひとりでも店に入った。さすがに毎日は食べられないけど、1ヶ月に1回はてんやの波がやってきた。
今年の夏前ぐらいだったか。会社帰りにてんやに入って、最初はうきうきと食べ始めた。しかし、完食できないどころか、完璧にもたれた。気持ち悪くなった。なんで好きなもの食べて気持ち悪くなってるんだ。呆然とし、そして悲しくなった。再び「老い」がやってきた。
ここ最近まったく食欲が出ず、朝も昼も食べずに夜チーズだけとか、「これお昼〜」とへらへら笑いながらベビースターを食べていたら「脚気になるよ」と友達に怒られたりしていたのだが、今日の夜、急に天丼が食べたくなった。会社の近くにちょっとおいしい丼もの&そば屋ができたので、帰りにひとりでカウンターに座った。天丼を注文し、うきうきと食べ始めた。きすを食べ、カボチャを食べ、半分を過ぎた頃、向き合いたくない何かがこみあげてきた。いや、今日は大丈夫だ。おいしいし、残さないで食べられる。実際、完食した。ごちそうさまと店を出て、家路についた。部屋の鍵を開け、コートを脱ぎ、手を洗う。ソファに座る。
ああ、もたれた……
それでもわたしは戦いをやめない。なぜなら、好きだからだ。もたれない天丼が、日本のどこかでわたしをきっと待っているはずだ。そろそろ封印を破って、カップ焼きそばにも挑戦してみようと思う。なんのために?若さを取り戻すために。若さの意味をはき違えてなんかない。はき違えてなんかないんだ。