靴を探して三千里

わたしは自分の足が信じられない。
通販で何度も靴を買っては失敗している。今も、返品希望の電話をかけてきたばかりだ。
甲高幅広で22.5〜23センチというわたしの難儀な足は、絶対にストラップなしのパンプスに受け入れてもらえない。幅に合わせるとパカパカと脱げ、縦に合わせると小指が痛くて歩けたもんじゃない。ヒールあるなしに関わらず、パンプスというパンプスにわたしはいつもにべもなくはねつけられてきた。ストラップがあれば、なんとか歩ける。少しぐらいパカついていても脱げることはない。でも女に生まれた以上、ストラップなしパンプスのセクシーなシルエットに憧れを抱くのは仕方のないことだ。
でも、無理なものは無理。ならぬものはならぬのです。華奢な靴など、わたしの世界には存在しないことになっている。
背が低いので、ヒールに頼らざるをえないところがある。フラットな床のライブハウスやコンサートホールで、わたしはいつも花魁みたいな厚底靴を履いてなんとかかさ上げを図ってきた。しかし、もう、無理なのだ。
ヒールに、耐えられない。
ピンヒールはもともともってのほかだったけれど、太めの5cmヒールですら、もう長時間履いていられない。左膝を痛めたことが決定打となり、わたしはヒールの靴とさよならしなければならなくなった。
それからというもの、わたしは街を歩く高いヒールの女の子たちに嫌悪感を抱くようになった。あんな高い靴履いて、絶対足おかしくなるよ。ほら、ひざをまっすぐに出来ないから、歩き方がちっともきれいじゃないし。でもそれは、嫉妬の裏返しだった。わたしは小さい背丈をものともせず、9cmヒールを味方につけてさっそうと風を切って歩く女性になりたかった。でもなれなかった。足のつくりが、それを許さなかった。
どこかの女流作家が、「私はヒールから降りることができない」と書いていた。ヒールから降りることで女としての覚悟を失う気がするから、と。ひどく傷つけられた気がして、わたしはその作家のツイッターのフォローを静かに外した。わりと好きだったのに、わたしはしばらく彼女の著作を読むことはないだろう。
言っていることがわかるだけに、つらかった。
「ヒールが履けなくなるわけじゃありません、2、3cmぐらいだったら大丈夫ですよ」と医者に言われ、2、3cmのヒールですら少しずつ慣らしていかないといけないと聞かされたわたしの失望感たるや、相当のものがあった。わたしはそんなわずかなヒールさえも超えられないのか、かの作家が言うヒールはそんなものではないだろう。均一な厚底でもなく、柱のように太いヒールでもなく、女の足を細く、華奢に見せる細く美しいシルエットのヒールなのだろう。足が痛くなるからそんなの履きたいとも思わないと言いつつ、心のどこかではそういう靴でおめかししたいという願望がいまだに捨てられないのだ。
スニーカを履いてたくさん歩くのが好きだ。痛い足を引きずって歩くぐらいなら、スニーカーで軽やかにどこまでも歩くことを選ぶ。スニーカーを常用するあまり、ドレッシーな服がワードローブから消えていった。仕方のないことだし、それでいいとわたしは思っている。でもわたしは靴への憧れが止められない。「足に優しい」というふれこみのローファーをあたりをつけて2足買ったところ、1足は入らないほど小さく、1足はブカブカだった。言いようのない徒労感を抱えながら、わたしは返品希望の電話をかけた。
通販サイトで華奢なピンヒールを買う人は、いったいどういう人種なんだろう。世の中にはこんなにいっぱい靴があるのに、わたしに合う靴は一握りしかない。サイズが合っても、デザインが気に入らない。デザインは最高なのに、つま先すらわたしを受け入れてくれない。お店で試し履きしたときはぴったりだったのに、1日歩いたら小指が擦れて痛くなり、もう二度と履かなくなった靴がいっぱいある。シンデレラは華奢な足でよかったね、わたしみたいにずんぐりむっくりだったらきっと一生王子様なんて見つからないよ。
それでもわたしは学習せずに、通販サイトでいつも靴ばかり見ている。家じゅうの靴をすべてオーダーメイドの靴に変えてしまいたい。そうすればきっとこの呪縛から逃れられる気がする……と思いつつ、やはりレディメイドへの憧れも消えることはないのだろう。打開策も見つからないまま、わたしはさらなる返品の山を築こうとしている……!