きっと明日もいいトモロー

10月22日火曜日、笑っていいとも終了発表の時間、わたしはうどん屋にいました。そんなこととはつゆ知らず、150円のエリンギかき揚げを載せた550円のわかめうどんをすすっていたのです。お昼から帰ってきたわたしを、同僚がこう迎えました。
「いいとも、終わるんだってね」
「いつものあれでしょ」と笑いながら答えたら、「だってヤフーに載ってたよ」とページを見せてくれました。来年3月終了と、具体的なことが書いてありました。
衝撃的でなかったと言えば嘘になるけど、わたしは心のどこかでこんな日が来ることを覚悟していました。最近のいいともはオープニングとテレフォンショッキングとエンディングにしか、タモさんが出てこなかったからです。そしてそんないいともを、わたしはもうちっとも見なくなっていたからです。
わたしはその瞬間を見逃したけれど、きっと淡々と、なんの執着も見せずにタモさんは終了を語ったのでしょう。終了をスタッフから告げられたときも(おそらく話し合いがあったと思いますが)きっとタモさんは動揺も見せず、「あ、そうですか」とつぶやいたのではないかと、勝手に想像してしまいます。
タモさんにとってギネスはおまけでしかなく、番組自体があまりにもひとり歩きしすぎて、冠番組であるという自覚すら、もうなくなっていたのかもしれません。
電車や坂道や古地図やお酒などとても多趣味なのに、ちっとも「オタク」という言葉が似合わないタモさん。執着しすぎて何度も痛い目に遭ってきたわたしには、タモさんのような「ただ詳しい人」というポジションがまったく理解できませんでした。
タモさんは幼稚園のころ、まわりの園児があまりに子どもじみすぎていて、バカバカしくなって園をやめたといいます。
あの冷徹なまでの客観性はいったいどのように培われてきたのか気になるとともに、あの客観性があるからこそ、人はタモさんに魅了されるのだと思います。だからブラタモリタモリ倶楽部でタモさんが好きなものに対してはしゃいだり、真剣になりすぎるあまり無口になったりすると、とても心が躍るのです。
いいともが終わるということは、日本のテレビ史が大きく変わるということです。たとえばわたしが今子どもを生んだとして、その子はいいともという番組があったことを知らないのです。なんというか、大げさに言ってしまえば、ある種の恐怖を感じます。
いいともは、日本のお昼の象徴でした。たとえテレビをつけていなくても、今日もアルタにタモさんがいる、そういう安心感がありました。
そういえば、ちょっと前に流行ったインタビューズで、いいとものことについて書きました。
http://theinterviews.jp/piyomaruko/2119860
読み返すとちょっと泣けてきます。
3回応募が当たり、2回観覧しました。1回は震災で中止になってしまったのです。アルタの外で整列していたわたしたちの前に現れたタモさんは、何人もSPを引き連れてやってきて、色めき立つわたしたちに照れくさそうに少し笑って小さく頭を下げました。「仕立てのいい」という形容詞がよく似合う格好をしていて、ほんとうにかっこよかったんです。「本物だ!実物だ!」という突き上げるような感動は、他のどの芸能人を見ても感じることのないものでした。
初めての観覧は2010年11月19日、今井美樹がテレフォンゲストの回。オープニングが終わって「いいとも!」とみんなで拳を上げ、CMに入るとタモさんがこう叫びます。「朝ごはん食べてきたかー!」客「イエーイ!」タモリ「愛し合ってるかーい!」客「イエーイ!」その応酬を何度か繰り返したあと、タモリ「朝エッチしてきたかー!」数人の客「イエーイ!」タモさんを中心にレギュラー陣がイエーイと叫んだ前の客のところに集まり、「そりゃおめでとう」と声を合わせます。その流れるような団体芸に、わたしは軽く頭を殴られたような衝撃を受けました。テレビに映らないこんなやり取りが毎日行われていたなんて!
そしてテレフォンショッキングのセットが登場し、定位置についたタモさんは客に向かって静かにこう言うのです。
「せっかくいらしたんだから、すべてを見ていってください」
このときに感じた気持ちを、わたしはいまだに言葉にする術を知りません。タモさんのすべてがこのひとことに詰まっているような、しんしんと胸に深く刺さるこの言葉。4年経った今でも、この言葉を口にしたときのタモさんの声のトーンや表情まで、はっきりと鮮明に覚えています。でもこの言葉のあと、タモさんは「私は地毛です」と神妙な顔つきで言って、思わず客が拍手をすると「地毛に拍手っておかしいでしょ」と笑いました。そこも含めてすべてってことか! さすがアイコンとしてのタモリのお役目もきっちり果たすタモさん。ほんとうにかっこいい。
とても不思議な気分でした。テレビの前で見ていたとおりのことが、実際に目の前でおこなわれている。CM中やセット転換など、裏側をおまけ的に見られるプラスアルファはあれど、全体的な印象としてはまったく変わらないのです。客席の歓声もざわめきも、テレビで見ているときには耳障りに感じることはあれど、100人のうちのひとりになってしまえば、ほとんど気になりませんでした。それどころか、自分が大衆になっているという、よくわからない感動がありました。たくさんの有名人がひしめき合い、素人と丁々発止を繰り広げ、日々違うゲストを迎えて、一筋縄ではいかない放送のはずなのに、なんの淀みもなくスムーズに進行し、ちょっとした影すら見せず、こうやって毎日作られているんだ。それってほんとうにすごいことだと思ったのです。
きっとこれでハガキが殺到するだろうけど、ダメもとでもう一度ぐらい応募してみようかな。生でタモさんを見られる貴重な機会がなくなってしまうんだもの。
でも、タモさんがいいともから解放されるということは、タモさんの趣味に沿った番組が誕生するかもしれないということです。ブラタモリがまたレギュラー放送になるかもしれないのです。「音楽は世界だ」みたいな番組が復活するかもしれないのです!!
そして、ぜひプライベートを充実させて、旅行に行ってほしいです。船にも乗ってほしいです。タモさんはいろんな土地に詳しいのに、ほとんどが路線図上だけの知識という事実がいつも切なくてしょうがありませんでした。これからは自分の足でゆっくりブラタモリして、見聞をもっと広めてほしいのです。
そしていいともが終わるということは、今までのいいともを振り返る特別番組や、特別構成が増えるということです! さんまとの立ちトークコーナーが復活するかもしれません! 終了を控えてなお輝きを放つ笑っていいとも! 我々タモリストにとって舌なめずりの日々が始まります。
いいともは終わるけれど、森田一義アワーはまだまだ終わらないんだぜ。

追記:いいとも終了の裏側が爆笑問題カーボーイで明かされたそうです。
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-2783.html
全部、タモさんがひとりで決めたことなんですな。引き際を自分で決めるなんてめちゃくちゃかっこいい。「スタッフ、出演者、みんなタモリさんが好きですよ」という太田さんの言葉にうっかり涙ちょろり、ますますタモリスト度が加速していくよ。