ついのすみか

日記を書くとかなんとか言っていた気がするけれど、またもやつめっこエントリばかりに逆戻りの日々です。
あっという間に6月も半ば。2013年もすでに半分以上終わってしまいました。
文字にはできていないけれど、いろいろやっています。
引越しも終わりました。これまでとは打って変わって、とても風通しのよいところです。
また、生まれた街に戻ってきました。
物価は高いし商店街もファーストフードもないけれど、緑は多いし住み心地はいいし、なにより親がほっとした顔をしたので、引っ越してきてよかったなと思っています。またご飯に困ると実家に寄るという悪しき風習が復活してしまいましたが。
昨日は1日中原因不明の倦怠感にさいなまれていて、帰宅してもお腹が空かず起き上がる気力もなかったわたしは、まだダンボールがいくつか残るリビングで虚ろに横たわっていました。
ああ、そういえば今日はEテレハートネットTVにマツコが出る日だ、マツコ憧れの加賀美アナウンサーと対談する日だ。ぼんやりと思い出して、ソファに寝転がったままテレビをつけました。
マイノリティとして生きてきた自分、そして年老いた親との向き合い方を、マツコは首筋に汗をにじませながら語っていました。
「うだうだ考えていてもしょうがないんだから、とりあえずやってみて、失敗しちゃったら迷惑かけたまわりの人に謝って、また光の当たるほうに歩いていけばいいのよ」
マツコがそう締めくくった瞬間、わたしの中の何かがパーンとはじけ飛んで、わたしはなぜか号泣していました。
悲しかったわけでも、つらかったわけでもない。ただ、わたしがかつて失敗をして謝ったとき、誰もわたしを責めなかったことを思い出したのです。
ひどいことをしたし、迷惑をたくさんかけた。差し伸べてくれた救いの手に全体重をかけてぶら下がる勢いで頼りきってしまったのに、赤の他人のどうしようもないプライベートないざこざについて、みんな優しい言葉をかけてくれたのです。
恵まれているんだなあって。
マツコほどの経験値はないけれど、自分は果てしなく孤独だと暗い井戸の中を覗き込んでいたあの日々にわからなかったことを、今、涼しい夜風が吹き抜ける部屋でようやく実感して、わたしは声を上げて泣いてしまったのです。
たくさん泣いたら、少しからだが軽くなりました。
号泣セラピーに勝る精神の健康法がいまだに見つからず困っているのですが、豊かすぎる感受性のこじれはこの方法でしか解決できないので、たぶんわたしと涙との蜜月は死ぬまで続くのだろうと思っています。
それはそうと、引越し後の片付けってどこにしまっていいかわからないものを最後までダンボールの外に出せずに途方に暮れませんか。わたしは途方に暮れています。そして友達におたくグッズ1箱、まんだらけにいわくつきのあれやこれやを2箱、ブックオフに5箱送りつけて合計113000円手に入れた*1にもかかわらず、それでも本やDVDやCDやおたくグッズの行き場所が見つからなくて、部屋の電気もつけずに天井を数分間見つめてしまうことがあります。
何かを手に入れると何かを手放さざるを得なくなるというのはこの世のことわりなのですね!どこまでもわたしを追い詰めるにっくき質量保存の法則!モノの体積がなくなる未来になれ!!(無茶

*1:お友達にはもちろんタダで差し上げましたよ