もてあます

最近の出来事を淡々と記録するよ。また穴掘って叫ぶ的な内容です。
2月に体の不調を訴え、手術してみたら体中悪いところだらけで術後ずっと意識が戻らなかった伯父が、4月下旬に息を引き取った。母の姉の旦那さんだった人が、もう80を過ぎていたことにわたしは愕然とした。ひさびさに着た喪服は少しきつくなっていて、何度も葬式には参列しているのにこの歳になっても数珠を持っていないわたしは手首にはめていた数珠ブレスレットを数珠替わりにして手を合わせた。お焼香をする段になって、わたしは葬式に来た作法のわからない外人がお焼香を食べてしまうという劇団ひとりのコントを思い出して少し微笑んでしまった。たぶんきっと、今後誰の葬式に参列してもわたしはこれを思い出してしまうのだろう。不謹慎かなと一瞬思ったけれど、死者に涙するのが必ずしも礼儀というわけでもない。泣き崩れる伯母を視界の片隅でとらえながら、泣き虫なわたしはせめてそうやって涙を紛らわしてしまいたかった。
伯父は豪快な人でわたしは少し苦手だったけれど、子どものいない夫婦だったのでわたしが遊びに行くといつも家庭菜園で採れたトマトをどっさり食べさせてくれたり、地元である千葉の名所に車で連れて行ってくれたりした。幼稚園の園長や中学校の校長先生をしていて、まるで用務員さんみたいにかいがいしく学校の花壇の手入れをしたり、和太鼓を作って学校に寄贈したりする人だったから、葬儀場には生徒からのメッセージや、伯父が生前に遺した数々の作品が飾られていた。教え子や教員らしき人たちはガラスケースを覗きこんで涙していたけれど、わたしはそこに近寄ることができなかった。そんなものを見たら感情が噴き出してしまう。そんなに親しく交流がなかったわたしがなぜそんなに泣いてしまうのか不思議がられるだろうし、何よりもそんな自分が自分でいちばん謎だった。生前病院で伯父の病状が思わしくないことを医者に告げられたとき、いちばん縁遠いはずのわたしが号泣して驚いた母親が「感受性が鋭すぎるものですから」と医者にことわりを入れるという珍事が起きたぐらいで、自分でも持て余しているのだ、このよくわからない精神構造を。繊細というのとも違う、ただ単に感情移入しすぎるタイプなのだと思う。よくテレビのバラエティなんかで見る、早泣き選手権みたいなものに出場したらわたしはかなりいい線行く気がしている。泣きたくなるような経験は今までいくつもしてきたし、今でも変わらずそんな現状を生きている。そのどれもが涙の起爆剤になるのだ。いらない、そんな即効性。もっと強くなりたかった。大人になればあんまり泣かなくなると思っていたのにな。ああもう!めんどくさい!
夢を見た。好きな俳優が出てきたので、夢の中で前のめりになった。少しいい雰囲気になっていろんな場所に連れて行ってもらうのだけど、どこもムードもへったくれもないような場所ばかりで、わたしは彼の意図を汲み取って少しずつゆっくりと失望していくのだった。やがて目が覚め、夢の続きを強く願いながら再び眠りについたら引き続きその俳優が出てきて、今度はなんとわたしの家に遊びに来るというたいへんな展開に!来訪に備えて彼用のマグカップを選びながら(こういうところがわたしの重さを象徴している)、こうしてる時間がいちばん楽しいんだろうなと夢の中で考えている自分がいた。会ってしまったら一瞬で時間は過ぎる、そのあとはただひたすらに寂しさだけしか残らないから。好きな俳優が出てきていい雰囲気になったのに、なぜこんなに切ない気持ちで起きなければならないのか。いつもそうだ、夢の中なのにわたしはいつも失望している。夢の中にも現実が侵食してきている。悪い夢を見てもいい夢を見ても寝覚めが悪いって!不自由!生きるって不自由!
口直しにもうひとつ夢の話。とんねるずのタカさんと若林がいて、わたしはツッコミの特訓を受けているようだった。プラスチックの折り畳みブラシみたいなので若林をはたいてつっこむ、というのを何回かやらされて、そのたびに「だからタイミングが違うんだよ!」とふたりに笑いながら怒られる。今度は扇子でつっこもうとするけど、なぜかその扇子が重くて持ち上がらなくてタカさんに「何やってんだよ!」とまたつっこまれ、若林にいつものあのちょっと困ったような口調で「うん、だから……」って苦笑いされるという、たったそれだけの、何のメタファーも読み取れないような夢。楽しかったなあ。自分の変な情念みたいのが反映されるような夢はもう見たくないよー!あっ結局口直しの意味なかった!またこんなオチ!ちゃんちゃん!