はるうらら

冬が長引いて、桜の開花が遅れた。ひさかたぶりに桜に間に合った入学式、桜吹雪の舞う中、校門で写真を撮る学生の姿に出くわして、そのまぶしさに思わず目を細めた。
両手の指を足したって足りないくらい、昔々のお話。わたしはいったいどんな顔で写真を撮られたんだろう。もう、すっかり忘れてしまった。
中学からの友達と毎年恒例の花見をした。昔は土日に10人規模でやっていたけれど、声をかけやすく平日に休める4人で代々木公園に集まった。持ち寄った食べ物を広げたら、ものすごく豪勢なパーティみたいになった。

レバーパテが揺るぎない美味さ!友達が作ってきた、プルーンとカシューナッツを生ハムでくるんだおつまみが最高に美味しかった。イタリア人の料理!しゃれとる!!
何度も言うがこれで4人分だぜ!ちょうどいいぜ!写ってないけどこの他に硬いパンがいくつかあるんだぜ!わらび餅もあるんだぜ!食ったぜ!
いつもは新宿御苑でやっていたのだけど、代々木公園は無料のせいかはたまた週末の強風が影響していたのか、園内いたるところに飲食後のゴミが点在していた。集積所に集められた膨大なゴミに青いビニールシートをかけて作業する何十人の職員の脇に、無秩序に転がるウイスキーの角瓶、風に舞うドンキの黄色いビニール袋、出かけているのかと思いきやビニールシートも飲食のゴミもそのままに放置されている無人の宴会跡地、そんなゴミが日本とは思えないほど溢れかえる光景。そのおかげで無数のカラスが我が物顔で残飯をつつき、花見客の頭上すれすれを飛来していく。頭上を見上げれば花、少し視線を落とすとゴミ……悲しくなるくらい異様な光景だった。
見たくないものは見ないようにして、とりあえず食べることに集中した。
顔ぶれは変わらないけれど変わったのはそのうちひとりが赤子を連れていることで、赤子は泣き喚くこともなくとても機嫌がよく、初めて見るアリや女子高生に興味津々の様子だった。なんとも微笑ましい光景にわたしはまた目を細めながらレバーパテをクラコットに塗りたくるのであった。食べるという行為は無心になれるからいい。

桜の樹の下には、女子高生が埋まっているんですよ。
梶井基次郎を気取るわけではないけれど、桜の木の下に場所を取っていた4人の制服の女子高生を見ていたらまた遥かな気持ちになった。彼女たちは我々のスペースのそばでバレーボールを始め、「おいおいおい勘弁してちょーよ」と警戒態勢を取っていたら「あぶないからもうちょっと向こうに行こう」と自ら気がついてくれて事なきを得た。そんなのやる前に!気づきたまえよ!近頃の若者に足りないのは!想像力だよ!
とりあえずBBA集団が若者に小言を言う展開にならなくてよかったです。わたしは穏便という言葉が!大好きだ!
しばらくバレーボールに興じていた少女達はやがて売店で買ったらしい水風船を投げ合うというかわいらしい遊びを始めた。その向こうにはフリスビーを投げ合う若者。風に乗ってどこからともなくブンツク聞こえてくると思ったら、3人で向かい合ってボイパの練習をしている若者たちが。若干カオスな光景だけれど、うららかな春の陽のもと、悩みなんてひとつもないみたいに、すべての人たちが幸せそうにきらきら輝いていた。わたしも、そう見えていたのだろうか。
やがて、さあっと風が吹いて視界が桜吹雪に埋め尽くされた。降りしきる花びらの向こう側にそれぞれの遊びに興じる若者たちの姿が見えて、なぜかまったくわからないけれど、もし世界が終わるなら最後はこんな日がいいなと急に思って、泣きそうになった。
美しく平和な光景は涙を誘う。どういう心の仕組みなのかわからないけれど。
いつも午後になると風が出てきて「寒い!解散!」となるのだけど、この日はずっとぽかぽかうららかなままだった。食べるだけ食べたら腹が朽ちて眠くなり思わず横になる。すかさず「涅槃像だ」「仏陀だ」「入滅だ」と飛んでくる友の声に「滅してはいない」と言い放って少し目を閉じる。お腹がいっぱいになると眠くなるという単純なカラダの仕組みは、仕事中には確かに迷惑だけれどとても幸せなシステムなんじゃないかと思った。欲求に素直に従えることの幸福さは何者にも代えがたいことだよ。幸福と堕落は紙一重……神様は厳しい試練をお与えくだすったことだのう……。
月曜なのになんなの!この人の多さ!という自分のことは棚に上げた驚きもあったけど、ゴミがすごすぎるというロケーションを除けば、天気にも花にも恵まれてほんとうに幸せな花見であった。でもやっぱり来年は新宿御苑がいいかもなあ。日本はいつからこんなマナーのひどい国になってしまったんだろうね。また来年も、みんなでこうして集えたら幸せだなあと思います。