ピヨ丸オールフリー

東京カワイイTVで、初めてファッションショーのランウェイを歩くという新人モデルの密着をやっていた。途中から見たからよくわからないけど、ガチガチに緊張する新人ちゃんに先生がサプライズで同じショーに出演する長谷川潤土屋アンナを連れてきて、新人ちゃんはよろこびながらももっと緊張しちゃう。逆効果じゃん先生!って思ったけど、土屋アンナの対応がものすごくイカしてたんだ。
まず「ツッチーでーす!」ってご陽気に現れて、ええ!ツッチーて!わたしの中のツッチーフォルダには元U-turnの土田しかいなかったのに!って動揺してたら、アンナは感激する新人ちゃんの手を取って「初めて?盛り上がっていこうぜー!」っていつもみたいにノリノリ。でも先生が「ウォーキングはピカイチだよ」って新人ちゃんに教えたら、バカみたいに高いヒールを履いた足を見せて「ほら、イチゴ。これがバレちゃうかどうか」って笑うアンナ。ちょうどサンダルのストラップで隠すように、かかとにはイチゴ柄の絆創膏が貼られていた。「努力のたまもの!」という先生の言葉をアハハと豪快に笑い飛ばすアンナ。
ホンネ日和最終回。これまた途中から見たからよくわからないんだけど、番組のMCだったYOUとARATAが自由について語っていた。
ARATA「めちゃめちゃ縛られた中で細い自由を見出して突き詰めていくことのほうが難しくて、すごい面白いんですよね。『何でもあり』は自由じゃなくて、自分の信じたものをブレずにちゃんとやっていけることが自由だと思うんです。本人の思い、意志を何を言われてもやれるのはすごい幸せなことで」
YOU「自由って、ちょっとしんどいね」
めずらしくパンツ姿だったYOUは、ちょっと眉根を寄せて網に乗せた野菜をひっくり返しながら「自由が本当は縛りのある真面目なものなら、自分はペテンな自由だから中途半端を極めたいな」と続ける。
何を自由と定義するかは人それぞれ。
でも「自由」と「何もしてない」は全然違うものだ。
一線で活躍してる人の「自由」は、全部努力の上で成り立っているのだと思う。当たり前のことだけれど、忘れそうになる。わたしもあんなふうに、遊んでるみたいに仕事できるようになればいいのに。所さんはいいな、自分ちで好きなことやって番組になるなんて。生まれ変わったら糸井重里みたいになるんだ、好きなことを全部仕事にしちゃってほんとに楽しそう。そんなふうにうらやむのはお門違いだってことに、わたしは長らく気づかなかった。遊びを仕事にするためには、誰かに与えられた仕事をこなす何十倍も努力しなきゃいけないってことを。肩の力抜けたみたいにいつも振る舞ってるあのタレントは、そのスタンスを築きあげるまでに相当の苦労をしてきたこと。私生活も破天荒で我が道を行ってるように見えるあのモデルも、きっちりと仕事をこなしてるからこそそういうところにも光が当たってるってこと。なんでも器用にこなして仕事を自由に選んでるように見えるあの俳優は、いくつもの制約やどうにもならない縛りを経て今あの位置に立っているんだってこと。最初から自由にたどり着いてる人なんてひとりもいない。
もちろん「自由」に仕事にしている人と、私生活で「自由」を謳歌してる人、そのふたつの自由の意味は全然違う。かろうじて自宅警備員ではないけれど、わたしが甘んじている自由はサッカリンでできています!!(甘いけど濃度が高いとちょう苦いし危険性もある)(うまいこと言った)(むなしい)
いい話を続けざまに聞いても「深イイー」としかならない自分の薄っぺらさに悲しくなるんだけど、自分の身にならなくても思案を巡らすきっかけになったので良き哉と思っている。要するに、最近テレビやラジオが面白くってアンテナ張り巡らせるのたいへん!っていうこと。単純に好きなものを追っかけるのはもちろんのこと、ふと合わせたチャンネルで思想や哲学にふれて、普段なら通り過ぎてしまう事柄と向き合うきっかけをもらったりすることがたまらなくエキサイティングでやめらんない。わたしはあまりに多くのものを抱えすぎてしまってひとつの分野にしか興味のない人、そういう人にわたしはなりたいって心の賢治がつぶやいていたんだけど、でも全身スポンジにしてるといろんなとこから水を吸ってひょんな出会いや驚きがわたしを絶えず喜ばせてくれるんだ。たのしい!忙しいけど!そしてこれが自由なんだ!って思う。わたしの自由をいつか独占してくれるはずの、ビールのCMでよきダンナを演じてる西島みたいな人と暮らす自分を妄想するのも自由。ディスイズフリーダム!わー!むなしいー!誰か止めてー!!!(本音