わたしと第三舞台

2012年1月15日、第三舞台は福岡の地でその30年の歴史を閉じました。
わたしはその日1日中仕事に追われていて、全国の映画館で千秋楽の様子が生中継されていたことも忘れ、一心不乱に働いていました。
夜も深い時間になってやっと今日は何の日だったのかを思い出し、あわててレポを遡りました。みんな口々に幸せな最後だったと興奮気味に書き連ねていて、その場に居合わせることができなかった事実に少しだけチクっとしたけれど、嬉しかったのとほっとしたのとで涙がじんわり。どれだけわたしがあの劇団のことを大切に思っていたのか、あらためて思い知らされました。他人事みたいだけれど、ずっと離れていたからこそ実感したのも事実です。

第三舞台 封印解除&解散公演
「深呼吸する惑星」@紀伊國屋ホール
作・演出:鴻上尚史
出演:筧利夫長野里美小須田康人山下裕子筒井真理子高橋一生大高洋夫

観に行ってからずいぶん経ってしまったけれど、残しておきます。わたしと第三舞台についてのつれづれを。
昔から、自分が選ばなかった人生のことを考える子どもだった。もしあの学校に受かっていたら。もしこの部活を選ばなかったら。もし降りるべき駅で電車を降りなかったら。
些細なことから大げさなことまで、いくつもの可能性に生きる自分をよく想像した。想像したと言っても、あまりにも茫洋とした選択肢に呆然として、ぼんやりと思うだけだったけれど。客観的にみればじゅうぶん幸せなのに、心のどこかに得体のしれない喪失感がいつも居座っていた。こんな気持ちでいるのはわたしだけなんだろうかと、親にも友達にも話すことができないままその喪失感と向き合い続け、わたしはおとなになった。
大学でミュージカルをやるサークルに入った。先輩が向学のためにと演劇のチケットを後輩に売りさばいていて、それまでストレートプレイを観たことがなかったわたしは、出演者をろくに知らないのに迷わず購入した。それが、第三舞台の「パレード旅団」だった。今考えると、なぜ先輩が人気劇団のチケットを何枚も持っていたのか激しく謎なんだけれど。
まさにカルチャーショックだった。演劇に関する知識がゼロだったわたしは、目に映るすべてを水のようにごくごくと飲んだ。ずっと心に空いていた穴をくすぐられ、切なさに胸をつまらせながらわたしは興奮気味に会場を後にした。どうして鴻上さんは、わたしの抱えているやりきれなさを知っているんだろう。
やっと、出会えた気がした。
ずっと心のなかに棲み続けていた喪失感に名前をつけ、肯定してくれたのが、第三舞台だった。
封印公演をできたばかりのル・テアトル銀座で観たとき、10年間という言葉の重みをわたしは受け止められず、34歳の自分に思いを馳せることすらできなかった。こんなにあっという間にすぎるなんて思ってもみなかったし、10年という歳月を超えてまた第三舞台を観ることに、わたしは若干の不安があった。あのときはただ登場人物に感情移入するだけでよかったけれど、人生の切ない局面を何度も迎えた今のわたしは実体験を投影してしまうだろう。ああ、もっとわたしは笑顔で第三舞台を迎えられる人生を送るつもりだったのにと。
紀伊國屋ホールの席について、いつもの「ごあいさつ」を読んだ。ここ数年わたしも考えていたことだったので少し驚きながら、そして鴻上さんらしい着地点に懐かしい気分になった。
客電が落ちて、あの頃のままの顔ぶれを見た瞬間鳥肌が立った。川崎悦子さん振り付けのダンスやステージに落ちる照明、独特のセリフ回し、そして随所に散りばめられる過去の作品の名言たち。大好きな大好きなトランスの「誰かがここから飛び降りたくなったら〜」の台詞を一生くんが言った瞬間、わかりやすく涙腺が緩んで自分の思い入れの深さを知る。山下さんの立ち位置や、映像で出てくるなるしーと伊藤さん。お約束の里美さんの着ぐるみダンスはカモメで、「オウムやニワトリなど、今まで飛べない鳥ばかり着てきました。でも、これを最後に私は羽ばたきます。みなさん今まで本当にどうもありがとう!」里美さんの笑顔が眩しくて切なくて10年が一気に巻き戻って、わたしは涙が止まらなくなってしまった。
10年以上経ってわたしは鴻上さんの語る喪失を肌で感じられるようになっていて、第三舞台が帰ってきてくれたこと、そしてもうこれが最後であること、10年前に思い描いていた自分になれないままここにいること、全部がないまぜになってわたしはばかみたいに泣いてしまった。別に急いでるわけじゃないのに客電がついたらすぐに席を立ち、まだ誰もいないロビーに駆け下りた。いつものように鴻上さんが入口にいて、わたしは考えるよりも先に鴻上さんに駆け寄っていた。涙でぐちゃぐちゃの顔のまま「すごくよかったです。ありがとうございました」と早口で伝えたら、何も言わずにうなずいて手を差し出してくれた。握手してもらうことなんてすっかり忘れていて、わたしは慌ててその手を握り返して逃げるようにその場を離れた。いつもだったら話しかけることなんか絶対しないのに、後から思えば号泣して演出家に駆け寄るとか痛すぎるな…と反省したけど、でもこれで最後だからいいよね…!わたしに演劇の素晴らしさを教えてくれた鴻上さんに、どうしてもひとことお礼が言いたかったんだ。自分がこんな状態になってみて初めてわかったよ、第三舞台が当時カリスマ的な人気を誇っていたわけを。
死んだら、その人がネット上に遺した言葉はどうなるのだろう。誰かが消さない限り永久に残り続ける。わたしがよくぼんやりと思い描いては着地できずに終わるテーマについて、鴻上さんはまたひとつの物語をくれた。わたしは自分が死んでも、ネット上ではずっと生きていたいと思っている。だからはてなフォトライフの名前を「ikita-akashi」にした。とんだDQNだ。別に誰かの目にふれるのが目的なんかじゃない。ただ、存在していたいだけなんだ。わたしはこの世からいなくなってしまった人の言葉を読むのが好きだ。写真を見るよりずっとその存在を近くに感じられるような気がするから。だからラストシーンで橘が富樫を抱きしめながら言ったひとことにとても救われたような気分になって、また落涙してしまったのだった。ああ、どうしてこんなに、と思いをうまく言葉に出来ないままくちびるを噛みしめてしまう。にくいよ!鴻上さんが!!
わたしはいつも生まれてくるのが遅かったと、第三舞台や遊眠社や新感線、そして米米のことを思うたびにどうしようもない後悔をする。全盛期の輝きには間に合わなかったけれど、でも少しでもその時代の風を感じられたことを、今ではとても光栄に思う。演劇バージンを捧げたのが第三舞台だったなんて、すごく贅沢で幸福なことだ。
2回目をKAATの2列目で観たんだけど、「ずっと好きだった」に乗って踊る全員の晴れやかな表情や、筒井さんの大げさなリアクションに顔を背けて噴き出す筧さんや、小須田さんの変な動きにふたり同時に顔を背けて噴き出す大高さんと筒井さんや、白いニットが細身の身体に本当によく似合う一生くんああ一生くんハアン…などと、あの頃18の小娘にとっては雲の上の人たちの輝きをつぶさに観ながら、わたしはあなたたちのおかげでたくさんたくさん素敵な舞台に出会えたよ、ありがとうと胸が詰まって、またべそべそ泣いてしまうのであった。
大量の黄色い紙吹雪を役者と一緒に浴びながら、わたしはずっと軽やかに動き回る出演者と紙吹雪が降ってくるまぶしい天井を交互に見上げていた。照明と紙吹雪のおこぼれをもらって、自分も登場人物のひとりになったかのような晴れやかな気分で、この時間がずっと続けばいいのにと願った。でも幕が上がれば終わりは必ずやってくる。もうすぐ最後が訪れるけれど、もう二度と会えないけれど、なんて幸せな別れなんだろう。涙のほとんどは嬉し泣きだった。「なんでもう終わりなの!」なんて微塵も思わず、感謝の気持ちしかそこにはなかったのだ。
そして今回、輪をかけて幸せな出会いが。わたしがまだブログじゃなくてホームページをやっていたころ、それこそ10年以上前からネット上で交流させていただいていたpeatさん(id:peat)と、KAATで初めてお会いすることができたのでした。第三舞台といえばpeatさん、いろいろなことを学ばせていただいた方に第三舞台の会場でお会いできるとは!開演前のわずかな時間しかご一緒できませんでしたが、とてもいい思い出になりました。ありがとうございました!(遠くからお礼
今ちょっと駄文を読み返してみたけどわたしずっと泣いてんな!しょうがない!事実だから!泣いたらおなかすいて紀伊國屋地下のファーストキッチンでひとりフレーバーポテトを貪り食ったのもいい思い出だよ!ああそうだ、横浜公演千秋楽に勝村さんがサプライズで登場したというのをついったーで見て突然幕張で(COUNTDOWN JAPANに行ってた)奇声を上げて道行く人に振り向かれたので、DVD化の際はぜひぜひ特典映像として収録してくれ、くださいいいい!!