311について

少しだけ、暗いことを書きます。
未曾有の大災害が起きて、日本は大変なことになり、いろんな人がいろんな立場でいろんなことを言っている。
ついったーにはたくさんの意見が集まり、それによってその人のスタンスというものが明るみに出る。そのそれぞれにわたしは同意したり、安心したり、反発したり、場合によってはフォローをはずしたり、見たくないツイートは早送りしたりして、なんとか心のバランスを取ろうと一生懸命だ。
いつもよりタイムラインは速度が速く、見すぎては毒と知りつつも追うことに必死な自分がいる。
どうしたらいいのか誰にもわからない。もっとこうしたら、と意見を出すのはとてもいいことだ。ただ、今何かを批判することはまったく無意味だと思う。現状に必死になっている人には誰かを責めている余裕なんてない。そしてそれは、モチベーションを下げるだけで何も生み出さない。
実家に帰っているので、わたしが家族に節電をうながしている。しかし老人である両親に、いつでも部屋を暗くしろということはできない。もう目もあまりよくなく、ただでさえ気が弱くなりがちな彼らに暗闇を強いることはできないのだ。もちろん協力はしてくれるが、「電気つけてもいい?」と聞かれるとなんだか胸が痛くなる。
心の被災者の拠り所になるはずの、いろんな公演が中止や延期になっている。余震が続いている現状では仕方がないことだし、ただでさえイベントは電気を食うものだから、そうしてしかるべきだと頭ではわかっている。ただ、わたしはそれによって生かされている人間なのだ。残念だときつくくちびるを噛みしめるが、それどころではない被災地の人たちのことを考えると、その悔しさも表に出すことをためらってしまう。そう思うことは、別に悪ではないとわかっているけれど。
何が正しいのかわからないのだ。
原発の問題もあいまって、東京から脱出する人が増えているそうだ。どこかに帰れる場所や、待つ人がいる人はそうすればいいし、電気のためにもそうするべきだと思う。ただわたしにはそんな場所もないし、なにより東京が好きだから、どんなことが起きてもこの場所から離れないだろう。厭世的な発言ではなく、わたしはこの東京で、いつはかなくなってしまってもいいと思っている。わたしには縁者も少ないし、家族と一緒ならもう、それでいい。わたしがいやなのは震災でも放射能でもなく、どんどん人の心を失っていく人間を見ることだ。
がんばろう、がんばれる。そういう気持ちはもちろんわたしにだってある。でも精神のバランスを取るために、こういうことを吐き出すのも大切だよとわたしはあてもなく叫びたい。穴掘って叫ぶのは浄化作用をもたらすよ。ここはわたしの公開こえだめなのでみんなに見えちゃってるけどな!ごめんあさーせ☆