恐怖の味噌汁

小谷元彦展「幽体の知覚」@森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/

昔から怖がりなのだけれど、怖いもの見たさでおそるおそるのぞき込むような子どもだった。今でもちょっと怖そうなリンクがあると、画面を半分隠しながら開いたりしている。
恐怖とはなんなのだろう。本質はよくわからないけれど、「怖さ」と「美しさ」は表裏一体であると、わたしは思う。
たとえば怖ろしく澄んだ湖の写真。大地に大きく穿たれた穴。天高く噴き上がる間歇泉。煌々と輝く巨大なコンビナート。そのどれもがわたしには美しく、怖ろしい。

小谷はしばしば、痛みや恐怖などの身体感覚や精神状態をテーマに、見る者の潜在意識を刺激するような作品を制作します。毛髪を編んだドレスや拘束具を着けた動物、異形の少女、屍のような武者の騎馬像など、一つの解釈に帰着しえない多層的なイメージは、美と醜、生と死、聖と俗の境界線上で妖しい魅力を放ちます。

怖さの裏側には美しさがある。生の向こう側には死がいつも透けて見えるように。
小谷さんという人をちっとも知らなかったけれど、六本木の街で見かけるポスターや気になって飛んだ先のHPで作品を見かけるにつけ、胸の奥がざわついて観に行かなければという気持ちに駆られるようになった。
彼の作品には確かに不気味さは伴うけれど、すごく静謐な佇まいのものばかりだった。インフェルノというタイトルの映像作品というかインスタレーションがあるんだけど、滝が上から下へ、ときには下から上へ流れる様子を360度スクリーンに映したもので、観客はその空間の中に入ってまわりを滝に囲まれることができる。天井と床は暗い鏡で、下を覗いていると滝が下へ流れる様子が映ってまるで自分の体が下へ下へと下っていっているような感覚を覚える。たまに映像にふっとストップモーションがかかったり、滝の音が次第に激しくなったり、わたしたちの感覚は容易に操られる。最初はその不思議な感覚が恐怖に思えるのだけれど、わたしはだんだんその場から離れがたくなり、都合10分ぐらいそこに長居してしまった。なぜだかわからないけれど、体が浮くようなその感覚がとても甘美なものに思えたのだ。
ヒルが這う高い崖の上に立ったひとりの少女が、祈るような姿勢で顔の前で手を合わせている彫刻。しかしその両親指は限りなく両まぶたに近づけられ、指で目を突いているよう……。

祈り、信じることには盲目的な精神状態が伴われる。見ること、信じることとはいったいなんなのだろうか。

はっとした。胸を突かれる、とはこういうことかと思った。ヒルの這う高い崖にいることを、少女はきっと気付いていないのだ。そして祈りながら、信じながら両目を突いている。見たいものだけを見ようと、現実的な瞳を否定しようとしている。
この精神状態こそが恐怖だ。小谷氏の伝えたかった恐怖が、冷気のように忍び込んでくるのがわかった。わたしなんて何かに心酔するばかりの人生を送ってきたからなおさらそれがよくわかる。わたしは自分がヒルの這う高い崖の上に立っていることを知っている。しかし知っているだけで、その現実と向き合おうとしない。まさにこの彫像のようではないか。ヒルの這う崖の上にいる事実を知らない人よりも、よっぽど深い業をきっとわたしは背負っている。
とても有意義な美術展でした。張り詰めた気持ちを解放しようとスカイプラネタリウムに行ったのですが、期待しすぎたせいかいまいちだったな…。普通のメガスターのほうがよっぽど感動的です。まあカップルだったらなんでも満足できちゃうんでしょうけどネ!
ちなみにタイトルは昔流行った変な言葉遊びですけど、ある意味今回の主旨に合ってるなあと思ってつけました。「恐怖の味噌汁」「今日、麩の味噌汁」やっぱりなんでも表裏一体なのだなあ。って完全に後付けですけどネ!おいらは利口の裏返しでもなくてただのバカだな^^