ground zero

当日に書けなかった、9年前のあの日の話。
911という言葉ができた日のことを、わたしはかろうじて日記に残していた。
日記を読み返さなくても、わたしは覚えていた。風呂上がりに髪の毛を拭きながら見ていたテレビで、急にビルに飛行機が突っ込んだことを。
雪みたいに、破れた窓から大量の紙吹雪が舞っていた。
わたしはその光景をびっくりするくらい落ち着いた気持ちのままで見つめていた。どうせよくできたCGなんだろう。何かの映画のワンシーンなんだろう。チャンネルをどこに回してもその瞬間ばかりがリプレイされて、どんどん感覚が麻痺していく。意味がわからない。こうして世界は終末を迎えるのだろうか。だとしたら、なんと皮膚感覚が薄い最期なのだろう。
9年前の、わたしの日記の一部。

戦争になる、と思った。
日本はアメリカの子分なので、もしかしたら戦争の巻き添えを食らうだろう。
あまりに現実からかけ離れた想像で、生き急がないといけないなとしか思えなかった。
世界は燃えさかる炎の中にいるのに、私は明日お笑いを見るため大阪に行く。
不謹慎だと思った。でも仕方ないよ、とも思った。
決められた時間の中で生きなきゃなんない。
ラーメンズ零の箱式最終日のために、大阪に行ってきます。

美辞麗句だったらいくらでも書ける。
でも現実の私はこんなんだ。

はじめてラーメンさんを東京で見て、即その直後の大阪公演のために遠征を決めた初秋のことだった。9年前って、そういうこと。いろんな意味でずいぶんと遠くへ来てしまったね。でも、あの日の周辺の心の動きはまだはっきりと覚えている。海の向こうの出来事とはいえ、こんな時期に仕事もせず(当時会社を辞めたばかりでした)衝動的にチケットを取り、初めて大阪に遠征し、今は亡き近鉄小劇場で腹筋が痛くなるほど笑ったこと。興奮冷めやらず、帰りの夜バスのターミナルから東京の友達に電話したこと。アメリカではあんなことになっているのに、わたしはただ笑うために大阪まで来て、恋人にそのことであきれられている。でも、だからって家でじっとしてても何も変わらない。わたしが今できること、それはただのエゴでしかないけれど、自分のやりたいことをする以外なにも思いつかなかったのだ。いつわたしの家にミサイルが降ってくるかわからない、だったらじっとしてなんかいられない。せっかく好きなもの、楽しいことが見つかったのに、なんだかよくわからないもののために自分を犠牲にしている場合なんかじゃない。その頃はたぶん、気づかなかったのだ。今ではそのなんだかよくわからないものがなんだったのかがわかる。あの頃より少しだけ、利口になった。だからたぶんわきまえることもできるだろう。だけどどうだろう、9年経って大切なものを知って、大切なものをうしなって、でもそれは本当に大切だったのか今ではもうわからなくなって、結局巡り巡って同じ場所に戻ってきてしまった。自分がよろこぶことを第一に考える自分が戻ってきてしまった。自分がよろこぶこと=自分が大切な誰かがよろこぶことでもあるから、そういうタイミングになったらわたしは何を最優先するべきか知っている。だけど今は、やっぱり元いた場所に戻ってきてしまった。
わたしはいったい、何の話をしたかったのだろうか。
ただ、あの911は、わたしに「人生は一度しかない」と教えてくれた事件だった。もしかしたら、いや、たぶんきっと解釈を曲解しているんだろう。だけど好きなものに四方八方囲まれている幸せなわたしは、そうやって考えないと生きていけなくなってしまった。たまに自分の業が憎くなるよ、どうして世間はわたしの好きなものばかりわたしに巡り合わせるんだろう。責任転嫁だよね、わかってる。
911は、わたしと世界のつながり方を考えさせてくれた貴重な日なんだ。