ひとり酒

子どものころ、年末はもっとうきうきするものだった。
いつからこんなにやるせない気持ちになるようになったんだろう。
いつもならベッドに入ってものの10分としないうちに寝入ってしまうのに、昨日の夜は1時間経っても寝られなかった。2時半頃やっと眠気がやってきて、目覚めたら首が回らなくなっていた。
見事に寝違えた。
首をさすりながら出社し、ランチにみんなでうまいハンバーグ屋に行ったときはわたしの首の痛々しさでひと笑い取っていたのだけど、仕事に戻って急に上司に呼ばれ、「はい!」と振り向いた瞬間激痛が走ってもひとりで「いたたた…」と道化を演じざるを得なくなった。
痛む首筋をさすりながら、昨日這々の体で上げた仕事のやり直しメールがやってきて、またひとり地底深く沈んで21時近くまで悶々と苦悩していたけれど、まったく光の射す気配が見えなくて「お先に失礼します」とつぶやいて会社をあとにする。
寒さと空腹に申し訳程度のイルミネーションが沁みて、会社近くのモスバーガーに入った。
注文してから、そういえば昼間ハンバーグを食べたことを思い出す。閑散とした店内に流れるクリスマスソングにどうしようもない孤独感を覚え、それを蹴散らすように本を読みながらポテトをつまむ。

フィルム (講談社文庫)

フィルム (講談社文庫)

わたしがもっともなりたい人は糸井重里なのだけど、なりたい人2位が小山薫堂なのだった。おくりびとは観ていないけれど、放送作家としての彼の作品はどうしようもなく心をくすぐり、その軽妙に見える仕事ぶりがわたしを憧れさせる。
この短編集は「あのおくりびとの」という形容詞を裏切らない、いい話のオンパレードだった。
今のわたしにあからさまにいい話はどうもしっくりこなかった。なんだかさも感動してくださいと言わんばかりで、少し食傷気味になって席を立つ。
帰り道は、また鬼束ちひろの歌をずっと聴いていた。
わたしはたぶん幸せなんだと思うけれど、でもなぜ冬の街を彩るイルミネーションを見るとさみしくなるのだろう。かけがえのない人が身のまわりにはたくさんいるはずなのに、どうして途方もなくひとりだと痛いほど感じてしまう瞬間が訪れるのだろう。
立ち入り禁止の札の立った場所に魅力を感じるように、決して開けてはいけないとわかっているものほど開けてしまいたくなる。
ふすまを開けて美しい娘を失ったおじいさんや、玉手箱を開けて老人になってしまった浦島の心情は、21世紀の今でも普遍のものとしてここにあるのだ。
なんてめんどくさい。言われたままにしておけたら、なんの災いも起きぬものを。
でもわかってる。わたしにはその箱を開ける勇気もないんだってことを。中身を知ってるのに開ける必要なんてない。別にそれは空気にふれたら変化するような特殊な物質でもなんでもないんだから。
ああちくしょう、首が痛いな。こんな漠然としたネガティブを臆面もなくまた垂れ流すのは、きっと全部寝違えたせいなんだ。
今年はあっという間だったな。わたしがなかなか大人になれないのは、1年があっという間に過ぎてしまうせいだ。誰かのせいにすれば楽になれるなんて言うけど、ちっとも楽になんてなんないよ。