それはただの気分さ

ろくに更新をしないまま11月になってもうた。
これまでのようにあいかわらず東奔西走していたのだけど、長い間閉まっていた自分の心の扉をうっかり開けて急いで閉じたりしていたら、もう季節は晩秋になっていた。
冬は、さむい。
さむいのはいやだ。最近家が寒いのだ。前の家と違って保温性ばっちり!とか思っていたら、やっぱり冬は寒い。「こたつを買おうか。この家、寒いときは寒いしねえ」と連れに言ったら、「まあ、寒いときは寒いよねえ」と返された。
禅問答みたいになってしまった。
うっかり開けてしまった自分の扉は、重たくてなかなか閉まらなかったので誰にものぞかれない秘密の場所に穴を掘って隠した。隠したつもりだったけど、事後処理が甘かったらしく腐敗臭が漂ってきたので、あわてて土を持ってきてどんどんその上にかぶせた。だけど、ゾンビみたいにどうやっても地中からちょっとずつ這い出てきてしまうのだった。
ホラーだ。
ホラーはこわい。昨日、古田が情熱大陸に出ていた。以前の鈍獣が怖かったので、今回の印獣も絶対怖いだろうとチケットを取らなかったのだけど、正解だった。観劇後の客がやたら怖い怖いと言っていたからだ。人が何かを怖がる心理にはわたしだって興味がある。でも、それをわたしが味わうのはいやなのだ。
映像では突飛な役が多いが舞台ではひと味違うかっこよさがある、みたいな紹介のされ方をしていて、いやしかし最近舞台でももっさりしてきたよ……と、そこで流れた髑髏城の立ち回りシーンを観ながら思った。もう捨之介は故人なのだからそっとしておいてくれよ。むなしくなるから。
でも、もっさりとしていながらも飄々と鋭いその目つきなどを観ていると、やっぱりこの人はたいした役者だなあと思うのだった。髑髏城の再演で小太りのおっさんにハマり、その足跡を追いかけ続けてもう、12年になる。なってしまった。そうか、出会った頃この人はわたしと同い年くらいだったんだなあ。
自分の年の感覚が曖昧になってきている。
わたしより年下ですごい人が山のように出てきている。こども店長くらい年下だと何も思わないけれど、世界的に活躍してたりする人が80年代生まれとかだと、なんだか何をどう思ったらいいのかわからなくなる。すごいなあ、わたしもがんばらなきゃなあ、と単純に前を向けばいいものの、そう思うのもなんだか土俵違いな気がしてすぐに萎えてしまう。
ぐるぐるとした気持ちを特に誰に話そうと思ったことなどなかったけれど、気がついたらぽろぽろしゃべっている自分に気がついた。同情も共感もいらないけれど、静かに肯定してもらうことは気持ちのよいものだと知った。
それにしたって毎日眠くてしかたがない。昨日は早く寝たのにまたカラダが泥のように重く、ふと目を閉じるとそのまま入眠してしまいそうになる。このままだと逆転して日常が夢になってしまう。どろどろに溶ける前に誰かに起こしてもらわないと……(結局他力本願