be beans

いまだにツイッターがわからず、はてなハイクがわからない。ただわかるのは、なんだか楽しそうだけれどわたしにはそんなマメさがないということだ。ブログ2つやってコメントどころかケータイのメールだってレスの遅いわたしが、そんなつぶやきをこまめにしたためる能力があるだろうか。いや、ない。
友達が多い人はマメなんだろうなあとつくづく思う今日このごろ。インディーズのときから好きでデビューして紅白まで出ちゃったあのミュージシャンは、今でもメールをするとたまにだけどちゃんと返事してくれる。もちろん才能もあるけれど、ものすごくマメだからあんなに交友関係が広いんだろう。
いつもこうなりたいと思う。思うけれどもそれだけだ。残念な結果になって、それをなんとか正当化しようと自分の中で試みる。だけどそんなの人には伝わらないし、伝えるのだってもってのほかだから、結局自分のダメさばかりが浮き彫りになる。
どうしていいかわかることと、わからないことがあるのだ。
たぶんこうすればいいんだろう、そう思ってやれない自分と、やらない自分がいる。やらないのはケツに火がついたらやれるんだけれど、やれない自分はどう逆立ちしたって無理なのだ。例えば友達3人で歩いていたとする。歩道はそんなに広くない。3人広がって歩くのは迷惑だ。
わたしはだいたいいつも、ひとりになる。
話に混じりたいと思う。2人のうちの1人になりたいと思う。でもなりかたを知らないから、どうやったって無理なのだ。いつも2人の先を足早に歩いて、目的地をめざしてしまう。
今日会社に新しい子が入った。すらりと背の高い、清潔そうな子だった。わたしは歯医者だったから遅刻して出社し、彼女を同僚に紹介された。
「○○ちゃんって呼んであげて」
すでにあだ名が決まっていた。わたしですらまだあだ名で呼ばれていないというのに。
どこでつまづいたのかなあ、と思うことがよくある。でもそんなの長い人生の中でほんのちょっとの些細な出来事だから、そのつど思い出しはするけどすぐに忘れられる。ただ、わたしってつくづくこうなんだよなあってデニーロポーズで思うだけだ。
みんなに混じりたいという気持ちはある。だけど馴れ合いめんどくさいっていう気持ちがそれより勝っちゃってるから、きっとこういうことになるんだろう。神様はきっとお見通しなのだ。ほどほどなんて優しいさじ加減を施すほど、神様きっとヒマじゃないのだ。そうだよなあ。生きてるだけで丸儲けだもの。そういえばさんま&しのぶんとこの娘の名前の由来、「生きてるだけで丸儲け」略して「いまる」ってちょっとしたトリビアだよね。トリビアっていうか、知らないほうが幸せだった事実だよね。いくら芸人だからって、親はくれぐれも子どもの名前に責任持とうぜ。