もやもや病

なんだか急に思い立って、こないだまでやってたケイケイピーの評判をちょろっとだけ見て回ったんですよ。そしたら温度差がすごくて笑った。笑った、というのは正しくないな。苦笑した。いや、切な笑いした。全部伝聞なのでアレだったらアレですけど、「社会人としてのマナー」「劇場におけるマナー」「エコ」に触れてたって本当かいハニー。誰かが小中学生に見せたくなる内容でしたって書いてたのが腑に落ちたよ。あの人はまだ独立国家の王様かい?誰かたすけてやってくれよ。もう笑い飛ばせないよ。モジャでメガネのあの人が、そろそろやろうよケンタローってひとこと言ってくれればうまく行くんじゃないのかい。それから昔の自分の日記を読んだら、もっと切なくなった。あの人たちにあんなに一喜一憂していたあの頃。ずっと続くと思ってた。どんどん新しい、あの人たちにしか見せられない世界を見せてくれると思ってた。それが今や、なんだろうね。こんなになるとは思わなかった。こんなんじゃ、今また本公演があっても、なんだかこわくて観られないや。逆にモジャの人が不憫にならないか心配になってしまう。ノッポの人は全知全能だと思っていた、25のわたし。
どうしてこんな思考の地平に来てしまったかというと、CUTの最新号を手に取ったからだった。

Cut (カット) 2008年 10月号 [雑誌]

Cut (カット) 2008年 10月号 [雑誌]

ここにわたしの好きな二宮某という愛$が載っていて、待ち合わせに遅刻しそうだったのであわてて若干読み飛ばしながら立ち読みした。苦手だ、と思いながら読んだ。CUTとかSWITCHとかそれ系のこの人のインタビューは、読み応えがありすぎる分なんだかわたしをとても疲れさせる。わたしは数年前まで人に取材をする仕事をしていたので、取材記事を読んでいるとどうしても自分が取材をするとしたら、という仮定が頭のどこかから常に離れずについてまわるのだ。絶対ムリだ、と思う。会わせてあげるよ、取材させてあげるよ、もしそう言われたとしても全力で拒否するだろう。そしていつも思うのだ。わたしの好きな人は、ぜったい取材したくない人ばかりだと。どうしてこんなに一筋縄ではいかない人ばかり好きになってしまうんだろう。爪を噛みたくなるような気持ちで雑誌を元に戻し、電車に乗りながら、わたしは取材したくない人ナンバーワンのことを自然と思い出していた。で、このエントリの冒頭に戻ると。
いい加減芸能人をライバル視するくせをやめたいのだ。自分なんか凡人なくせに、一筋縄ではいかない好きな人のインタビューを読むとまったく素直な気持ちになれない。ライバル視っていうと語弊があるな、うまく言葉にできないんだけど、強いて言えば「……くそう!」と地団駄を踏みたくなるというか。ある意味、これはストレスだ。なんで好きな人の記事読んでストレス感じなきゃいけないんだ!このやろう!おまえ!もうちょっと普通のことを言え!(6つも年下の芸能人にやつあたり
というわけで、期せずして愛$がわたしのもやもや病再発のトリガーになってしまったのでした。脳みそを洗浄したいです。もうちょっと瞳に☆な人だったらなあ。