バカでなくてもバカなのだ

菊千代は、「わんちゃん」と言うと嫉妬をしてパンチを繰り出す猫だった。
猫にも、前の奥さんにも、今の奥さんにも、誰からも愛された人。ガン告知を受けても酒もたばこもやめないで、それでも「まあ、この人ならしょうがないか」ってみんなから寛容な態度を取られて、ひょうひょうと生きてた人。
彼は麻雀をするとき、他人に気を遣うあまり振り込むことができず、いつもツモで上がっていたという。一度も勝ったところを見たことがないと、タモさんは言った。それほど優しい人だったと。
他人を受け入れ、自分を受け入れ、現実を受け入れ、すべてを受け入れて彼は声高らかにいつも「これでいいのだ」と笑っていた。彼がそうやって笑うから、わたしもつられて笑った。「これでいいのだ」は諦観でも妥協でもない、自分を前に向かせる魔法の言葉だった。
このさみしさは、植木等が逝ってしまったときと同じ種類のものだ。
タモさん人生最初の弔辞を、さっき文明の利器であるワンセグで観た。録画かけてきたミヤネ屋ではカットして放送しやがった。2時っチャオはフルで流したというのに!カットしたところこそすばらしい箇所だったのに。どこにも無駄のない、誠実な弔辞だった。波のないトーンで思い出を語り、最後に、声を震わせた。
タモさんのこんな姿を、わたしたちはどんな気持ちで受け止めればいいのだろう。
先生、あなたの見出した人は今やすごくビッグになって、あなたへの弔辞もそこそこにすぐ生放送へ向かったよ。まるで今のもギャグだったみたいに、アルタで人を笑わせているよ。
いいともは最初しか観なかったけれど、タモさんはいつものタモさんだった。大物芸人だから、さっきまで喪服着てたような気配なんてちっともなかった。でも、つるべとおすぎがレギュラーの日でよかったなあとちょっと思った。
真夏の炎天下、暑い最中のお葬式ほど、死者の影を強く感じる。バカみたいに青い空や壊れた拡声器のような蝉の声が、余計かなしみを際だたせる。
あっちでもたくさん酒のんで、おねえちゃんや菊千代とにゃんにゃんして、おっぺけぺえなマンガをたくさん描いてください。