わたしの8月15日

中村征夫写真展「海中2万7000時間の旅」
2006.8.5(土)〜9.18(月)
東京都写真美術館 2階展示室
http://www.syabi.com/

大好きな水中写真家、中村征夫さんの写真展に行ってきた。お盆の東京には人が少ないと思っていたのに意外と盛況で、氏の人気の高さを実感した。
この世のものとは思えない海中絶景、ユニークな顔の魚たち、慈愛に満ちた瞳のザトウクジラの母と子、そしてヘドロにまみれた東京湾で必死に生きる生き物たち、温暖化で白化し、無惨に死に絶えてゆくサンゴの群れ。
医者にあなたはダイビングに向かないと言われてからすっかり縁遠くなってしまったが、わたしもスキューバのライセンスを持っていて何度か海に潜ったことがある。足の立たないところで泳げないわたしがスキューバに挑戦しようと勇断した一因に、中村さんの写真の存在があった。涙が出るほど美しい海の中を知らずにわたしは一生を終えるのか、それはあまりにももったいないことではないのか。多少の危険を冒してでもあの懐に抱かれたいと、わたしは願った。
こわごわ踏み込んだ伊豆の大瀬崎という海は、どんよりとした天候とは裏腹にさんさんと光の射す楽園だった。透明度抜群の海中と目の前を横切る魚たちに恐怖心はすっかり消え、おかげで奇跡的にライセンスも取得、それから何かにとりつかれたように海に通った。技術はなかなか向上せずみんなに迷惑をかけたけれど、夢のような光景を何度も見た。指で触るとしゅっとすぼむイバラカンザシと遊び、ハコフグを追いかけていたらインストラクターとはぐれそうになったり、水中に仰向けになって浮かび、自分の吐いた息が宝石のように輝きながら水面に昇っていく光景に涙が出そうになったり、偶然出くわしたウミガメの優雅な後ろ姿に息をのんだり、思い出を数え上げたらきりがない。瞼の裏に焼き付いて消えない光景たちが、中村さんの写真で呼び覚まされた。
展示ブースを出たらなんと中村さんがいて、図録にサインをしていた。おお、なんたる幸運…!もともと買う気満々だった図録をその場で買い、名前を入れてサインしていただいた。中村さんのサインにはかわいらしいハリセンボンが描いてある。丁寧に筆を運ぶ手元を見ながら、「しばらく潜っていなかったんですが、写真を拝見してまた始めようと思いました」と言ったら、「せっかく潜れるんならもったいない、僕の写真も浅いところが多いんですよ。ぜひ始めてください」と笑顔で言ってくださった。嬉しくて嬉しくて、図録を抱きしめながら帰った。

WOWOWで、こっこのツアーファイナルin沖縄を見た。自分にとって大切な場所で、彼女は静かにゴミゼロの話を始めた。「あっちゃんは沖縄に愛してるって言いたい。だからゴミゼロを始めた」彼女の元にはいろいろな人から助けを求める手紙が来たという。エコの広告塔になりかけていた自分に疑問を持ち、自分に出来ることは歌を歌うこと、自分の足元を見つめることだと言った。「助けに来てほしいと手紙をくれた人たち、ごめんなさい。あっちゃんは行けないから、歌を歌います」泣きながら言葉を紡ぐ彼女の姿に、写真展で見たサンゴの姿がよみがえった。白化し、やがて色を失って壊死するサンゴ。そういえば3年前、沖縄でシュノーケリングツアーに参加したときに同じ光景を見た。連れて行かれた先の海で下をのぞき込んだわたしは声を失った。はるか海底に散らばる破片たち……そこは、サンゴの墓場だったのだ。
沖縄の空にこっこの声はどこまでも響いた。去年のゴミゼロが終わったときから、今日のライブを計画していたという。どうしても沖縄でやりたかった、どうしても8月15日に。昨日ひめゆりの塔に行ったこと、戦火を生き延びたおばあたちの話を聞いて毎日をちゃんと生きたいと思ったこと。歌の最中に彼女は何度も声を詰まらせ、最後の曲が終わると力の限り「愛してるよ、沖縄!」と叫んだ。
彼女は「自分のゴミゼロを探してください」と言った。こっこは沖縄に愛してるといいたいから、自分の愛する景色が汚れていくのを見たくないからゴミゼロを始めた。沖縄で歌いたかったという「コーラルリーフ」を聴きながら、わたしは涙が止まらなかった。死んでいくサンゴ、住む場所を失っていく魚たち。わたしは生命の喜びに満ちる海を知っている。だからこそ、あの光景を失いたくないと強く思った。あの海を、失いたくない。

耳に残るこっこの歌と海の写真を抱きながら、わたしは自分のゴミゼロを模索し続けている。