つながる

ふだんからひとりごとが多いので、やっぱりわたしはついったーでもひとりごと大将になってしまうのは当然のことで、でもわたしは興味の幅が広すぎて多種多様なことについて発言してしまう。わたしの中のひとつの面を好きになってフォローしてくれた人のご希望に添うようなつぶやきを、どうしたって続けていくことは不可能だ。そんな人にはただの意味不明な言葉の羅列にしか見えなくて、なんだかもうつまんない、外しちゃおうってなって、いつの間にかフォロー数が減っている……ってことになるんじゃないか。別に数字が減ったってへっちゃらだけど、リアルひとりごとと違うのはそれが文字になってよそさまんちに残ることで、それを追ってる人がいるってことは、そこになんらかのエンターテインメント性がふくまれていないといけないんじゃないか、そんなちょっとした強迫観念にさいなまれて、わたしとついったーの間には常に溝があった。「おなかすいた」「あつい」「もうねる」それだけのつぶやきができないのは、わたしの中にそういう見えない枠があるからだ。自分が忙しくてついったーを見られない時には、なんだか勝手にのけものにされたような気分になったし(ほんとうに勝手だ)、ついったー上で活発に交流している人たちをみると、指をくわえながらも「いいもん別にそういうんじゃないし」って勝手にやさぐれたりした。ついったーはブログよりも簡単に、しかも切実に自分と向き合わされる、悪魔の道具だったのだ。
とかゆってるわりには「若林が…!」「愛$ちゃんが…!」だのと欲望まるだしのつぶやきを散々しているんだけど、でもやっぱり自分の中に制約はあって、例えば誰かフォローしている芸能人に呼びかけたい、だけど同じ芸能人と自分をフォローしている人にはそのツイートが見えてしまって、「あいつ結局返事もらえてねえぜ、当然だよな」なんて思われたらどうしようという、過剰すぎる自意識が邪魔をしてそれすらもできなかったんです。わたしは氣志團翔やんのいつ寝てんだ的ホスピタリティをほんとうに尊敬していてフォローしているんだけども、この夏2度GIGを見て翔やんの話芸はてっぺいちゃんに通じるところがありすぎるっていうかCS石井の正統なる継承者!!って思っていて、それをなんとか翔やんに伝えられないかとひそかに契機をうかがっていたのだけど、さっき「氣志團のGIGは米米に影響を受けたんでは?」というファンのツイートに「よくそう言われるけど実は見たことないんです」と答えていたのでチャンス!とばかりに「翔やんの話芸も石井さんに通じるところがとても多く、一度対談してもらいたいと切望しています!」と勇気を振り絞ってみたら、即「うえ〜!石井さんにトークでボコボコにされる予感、満載です!」って返信が……!!*1
なんだか泣きそうになっちゃった。
あんな大きいステージでリーゼント決めてマブい感じでオーディエンスを熱狂させてる翔やんと、たった一瞬でもつながることができたっていうよろこび。まだ高校生の頃、米米のディナーショーですぐ脇を通ったてっぺいちゃんを見ながら「こんなに手の届く場所にいるのにすごく遠い」って胸がつぶれそうになったあの頃の幼いタマシイが、今ここでやっと成仏したような気がしたのです。
わたしは自分が何かを表現することに異常に意味を持たせたがっているところがあって、そこがめんどくさくもあり誇りでもあるんだけれど、でも全部ひっくるめてこれも自分の表現なんだと思えるようになりました。めんどくさい。若林よりめんどくさいよ。だけどたった一度の翔やんのリプライがわたしの勇気になったんだよ。そしてその勇気をくれたのが翔やんだったことが、さらになんだかほっこりとうれしいのです。別に誰のためにもならなくても、わたしはわたしを残すためにこれからもつぶやいていくよ!

*1:前のめりすぎて一文がやたら長くなった