茨の海

サイドバーのなんちゃってiPodからもわかるように、最近ひとりの部屋で鬼束ちひろを必要以上に感情を込めて熱唱するという不安定極まりなくたいへんに気持ちの悪い行為を繰り返している。
例えば人と話していて、思いがけず相手から共感を得られるとする。特殊な世界に住んでいるとずっと思っていたから、その事実にうれしくなる。しかし自分と相手の尺度は必ずしも同じものではない。共感は得られても、そこから先の世界は違うかもしれない。でもうれしくて、境界線を越えそうになる。ここから先は話してはいけないと思っても、どうにも口が滑りそうになる。気持ちが先に進んでしまいそうになる。
自分をネタにすることでしか笑いを取るすべを知らないままに30を超えてしまった。他にやり方も知らないし、ひとの笑顔が見られるならそれでいいと思ってここまできた。あとから真綿のようにわたしの首を絞めてくるみじめさと付き合う方法もわかってきたけれど、定石通りじゃないと途端に乱されてしまう。アドリブが利くタイプではないのだ。
自分が苦悩してやっと見つけた解決の糸口を、わたしを思い悩ませた人にアドバイスしてとてもありがたがられた。泣き笑いのような気持ちになりながら、それでもわたしを尊敬のまなざしで見るその表情に少しだけ救われてしまった。
いつまで経っても同じ場所をずっとぐるぐる回っている。いっそバターになれてしまえればいいのにと思う。秋晴れの空をうらめしく見上げながら、わたしはだるい体を引きずるようにして会社へ向かう。誰よりも付き合いが難しい自分という人間と30年以上やってきたんだから、なんかもうたいていの人の人生相談に乗れそうな気がする。副業でもはじめようかしら。