これで、最後。

「30年間ありがとうございました」とだけ書かれた真っ白い表紙。

特集:クリエイティブ・シンポシオン2009 (広告批評 336号)

特集:クリエイティブ・シンポシオン2009 (広告批評 336号)

こっちの頭が真っ白になった。
1年前から休刊が決まっていたことを、わたしはちっとも知らなかった。広告批評は大好きな雑誌で何号か続けて買っていた時期もあったけれど、広告業界にいるわけでもないわたしが毎月買うには高すぎる。この世に広告がある限り、この雑誌は続くと思っていたから、わたしは電話帳の角で殴られたような衝撃を受けた。
広告業界に入りたいと思ったことはないけれど、物心ついたときから広告が好きだった。心に深く残る広告を見たとき、15秒あるいは30秒という限られた枠の中で、新聞の1面で、駅の構内で、いかに商品を印象づけるかと切磋琢磨する作り手の心意気や気合いのようなものを感じて、わたしはただひたすらしびれた。作られたものよりも作り手に意識が向いてしまうのは、誰に教えられたわけでもないけれど、強いて言えばこの雑誌に後押しされたような気がする。業界に知り合いがいるわけでもないのに、批評ページに載っている広告の作り手の名前を眺めるのが好きだった。たった15秒や30秒、または1枚のポスターの裏にどれほどの人の思いが込められているかを目の当たりにできるような気がしたからだ。
最後なので、広告人に限らずさまざまな第一人者の対談が載っている。まだ全部読んでいないけれど、あまりにも贅沢で胸がいっぱいになった。としまえんの広告、懐かしいな。ちょっとこわかったけどインパクトが強すぎて目が離せなかった。そして時代は移り変わっても、企業ごとに広告のカラーっていうのはある程度貫かれているんだということにあらためて気づいて感動した。
もっともっと、世にあふれる広告を批評してほしかった。「広告のあり方がマスメディア一辺倒からウェブとの連携へと変化を遂げてきたことで、マスメディア広告と一緒に歩き続けてきた小誌はここで一区切りをつけたいと思う」と天野さんは言う。わたしは島森さんが病気療養中であることも知らず、さらに切ない気持ちになった。「続きはwebで」なんて情緒もへったくれもない、確かに新しい広告の形ではあるけれど、多くを語らずに大衆をひきつけてこその広告だとわたしは思う。時代の流れだから仕方がない。クリエイターも苦悩しているだろう。もちろんwebでの面白いコマーシャルだってある。だけど、やっぱり天野さんが言うように、確かにひとつの時代が終わってしまった。わたしですらそう感じるのだから、第一線に立って常に広告とふれあってきたスタッフの心中はいかばかりかと思う。
各企業が広告批評に向けて30年間おつかれさまの特別広告を寄せていた。中でもソフトバンクのお父さん犬が涙を流して「広告批評はもう叱ってくれないぞ!」って言ってる広告に泣けた。休刊という言葉を使っているけれど、復刊のときは来るのだろうか。信じて待ちたいけれど。
始まりがあれば終わりもある。時代には勝てない、という言葉は使いたくない。その時代その時代で生まれるものがあり、消えていくものがある。当然のことだとわたしは思う。だけど、やっぱりさみしくてしかたがない。
最後にわたしが今でも大好きで、そして語り継がれている伝説の名作CMを貼っておきます。