米米CLUB「THE LAST SYMPOSIUM」@東京ドーム

なんでこんなことするのか自分でもわかりませんが、97年3月6日東京ドームで行われた解散コンサートの夜にしたためた日記をここに晒そうと思います。当時19歳、パソコンなんて夢の箱も存在しなかったので、ムーミンの日記帳にせこせことこっぱずかしい秘め事をしたためておりました。やー、ホント恥ずかしい。でも今と大して文章のクオリティは変わらなかったりして。アハハ。笑いごっちゃない。あんまり恥ずかしいのでセルフツッコミ入ります。

米米の最期をみとってきました。最高のライブだった。悲しいとかつらいとかより、今はただひたすら疲れた…というカンジ。眠いのを我慢してこれを書いてる。昨日も行ったんだけどね、東京ドーム。*1昨日はスタンド1F席で思う存分踊れなかったけど、今日は3時間分ばっちり跳ねながら踊れた。センターの真ん中くらいだったからまるで見えなかったけど、すごく一体感があった。もう全編ノリノリのナンバーばっかりで、しんみりするバラードはラストの「Child's days memory」のアカペラバージョン(これはさすがに泣けた)だけだった。ボーナスのダンスメドレーは36分19秒*2もあってもう足がたがた。別れを惜しんでる余裕なんかなかった。でもそれが米米。さみしいけど、笑って終われる。「Beautiful」で見せたてっぺいちゃんのあの視線に動けなくて声も出ないほどくらくらきたし(37なのに…マジかっこいい)*3帰ってきたリョーちゃん、得ちゃん、さとみちゃん、博多めぐみ、マル*4に狂喜乱舞したり、有無を言わせないダンスナンバーに踊らされたり、もういつものライブと少しも違わなかった。最後だなんて思えなかった。涙もほんのちょっとじーんときただけで全然ダメージ大きくなかったし、実際帰りも泣いてる人なんていなかった。米米にしんみりした別れなんて似合わない。ハトコちゃんも現れたし(ドームでひとり芝居なんかするな(笑))「嫁津波」も聴けたし、ホントに楽しかった。「米米はいつでも時代の寵児であり続けたい。延命処置はとりたくなかったんです」「こんなにたくさんの目に見守られて米米CLUBは消えてゆくことができて本当に幸せです」「またどこかで会おうな!また遊ぼうぜ!」「幸せになれよ!」ああ私はこのバンドにどれだけ支えられてきたんだろうと思うと、やっぱりさみしいけど、どうしてと思うけど、やっぱりすごく良く受け止められる。これが米米らしい。でも最後のBONの呆けた表情が忘れられない。誰よりも米米を愛し、1人でもやっていくつもりですって言ってた、そんなBONのあの表情を見てちょっと切なくなった。思い出すと涙が止まらなくなるけど、これは「進むためのひと休み」*5なんだと思う。明るいコンサートで良かった。いいバンドに出会えて、私たち*6は本当に幸せだ。もうてっぺーちゃんがめちゃくちゃゴージャスな服着てムード歌謡歌うこともひとり芝居することもないんだなと思うと*7さみしくて、もったいない気はするけど、また近いうちに何かドカンとやってくれることを信じて待っていようと思う。*8「忘れんなよ!」−−忘れるわけないじゃん。米米はこれからも私の一部であり続ける。*9

うーん。ひさびさに読み返してみましたが意外とドライ。やっぱりひとつのライブが終わったっていう感じで実感が湧いてなかったようですね。ていうか普通に疲れて眠かったんだろうな。あと文章的にあまり成長が見られないところに我ながらへこむぜ…。なら晒すなっちゅー話ですよ。はい、この話題ここで終わり。席に戻りなさーい!

*1:この倒置法むかつく…!

*2:細かいよ

*3:「37なのに」だって!あのときまだ30代だったのか…!

*4:脱退したメンバーが勢揃いした

*5:ラストアルバム収録の「MOMENT」という曲の一節

*6:複数形になっちゃったよ

*7:結局ソロになってからもやってた。でもわたしの求めてる意味合いとは違う

*8:泣ける…

*9:何カッコつけてんのさ