Love so Jyakuchu

京都・相国寺承天閣美術館にて開催された「若冲展 釈迦三尊像動植綵絵120年ぶりの再会*1」が終わって、もう10日。今さらながら運命の5/24(炎天下)について、書き起こしてみたいと思います。ラーメンの人とかライブでの遠征は数あれど、絵画遠征をしたのはこれが初めて。わたしにとってこの画家がどれほどの存在かを思い知らされました。これを逃したら、次会えるのはまた120年後かもしれない。ていうか、おいら死んでるって。そう思うと往復深夜バスでもちっとも苦にならなかったあの特別な逢瀬を、ちゃんと記しておきたいのです。
10時開館の美術館前に8時半到着。すでに7人(内訳:夫婦1組、40代くらいの女性1人、女子学生4人組)が並んでいました。日なたを避けて列の最後尾につくと、すぐにおばちゃんグループがわたしの後に並びました。「今のうちにトイレ行ってきなさいよ」おばちゃんたちはいつも元気。わたしはiPodを取り出してアイドルさんの歌声を聴きながら、京都のガイドブックを広げます。でもどこに行きたいわけでもない、なんとなく字を目で追うばかりで、ちっとも内容に集中できません。あと1時間半したら会える。ものすごい光景に会える。そう思うと心が湧き立って、アイドルさんの軽快な歌声も青空に映えて、本なんか開いている場合じゃなくなってくるのです。しょうがないから本を閉じ、わたしはiPodを「ミュージック」から「ムービー」に切り替え、「Love so sweet」を舞い踊るアイドルさんの映像を観ることにしました。湧き立つ心に湧き立つ心を重ねれば、逆に相殺されてちょうどいい感じになると思ったからです。作戦は成功、でも心なしか自然と上がってしまう口角を隠すことはできませんでした。繰り返し繰り返し、青空の下で若冲を待ちながら観るアイドルさん。ふふ、わたしってば何やってるんだか。でも幸せなのは確かです。
予定時刻より15分開館が早まり、わたしたちを阻んでいた柵がようやく取り払われました。後ろを振り向くと最後尾がよく見えないほどの長蛇の列。わたしは落ち着いたフリをしてゆっくりと窓口へ進み、「大人1枚」と発声しました。1500円を払って係員の誘導に従い、ゆっくりゆっくりと展示室までの長い渡り廊下を進んでいきます。この廊下が、本当に長いのです。いやが上にも高まる期待。デパートの開店直後のように、そこここにいる係員から「いらっしゃいませ」と頭を下げられます。会釈を返しても、心ここにあらず。この長い廊下を抜けたら、そこは雪国ならぬ楽園なのです。
ようやく入口に到着、「ごゆっくりご覧ください」のひとことで、我々は係員の呪縛から解かれます。まずは第一展示室、若冲水墨画が中心に展示されています。鹿苑寺金閣寺)の大書院の5部屋を飾っていたという重要文化財鹿苑寺大書院障壁画」から、鹿苑寺大書院一之間と三之間の床の間を飾っていた「葡萄小禽図」「月夜芭蕉図」の床の間を原寸大で再現というスケールの大きさ。極彩色のイメージの強い若冲ですが、やはり独特の迫力があります。今回が初公開となる、ほうきに子犬がじゃれついている「厖児戯帚図(ぼうじぎほうず)」も本当にかわゆくてずっと見ていたいのだけれど、第二展示室が「こっちに楽園があるよ」とわたしを呼ぶのです。うん、わかってる。人が増える前にそっちに行かないと。後ろ髪を引かれつつ、第一展示室を後にします。もったいない気もするけど、こればっかりは仕方ない…。
第二展示室に行くまでにもちょっとした廊下を通ります。なんてじらすのがうまいんでしょう。スタッフに会釈を返しながらも、心はもう浮き足立っちゃって大変なことに。ああ、この扉の向こうに極楽浄土が……。
息が、止まりました。
正面に釈迦三尊像が3幅、左右に動植綵絵が15幅ずつ。人もまばらな展示室の中で、それらは神聖な輝きをもってわたしを出迎えてくれました。
自分の鼓動が聞こえるほどその迫力に圧倒されたわたしは、声も出ず、涙ぐむことしかできず、しばらく会場の中心に立ち尽くしていました。そしてはっきりと思ったのです、この光景を死ぬまで忘れることはないだろうと。
動植綵絵は昨年、宮内庁三の丸尚蔵館で半年間かけて5幅ずつ公開されました。わたしはそのすべてに足を運び、本物の迫力に白目を剥いたばかりだったのですが、今回の感動はその比ではありませんでした。120年ぶりに勢ぞろいした全30幅、そして釈迦三尊像。あるべき場所に帰ってきた彼らは、おそらく120年前の輝きをそのままに佇んでいたのです。
来てよかった。本当に来てよかった。このときほど、自分の刹那的な性格に感謝したことはありません。
ようやく体が動くようになり、わたしは端から動植綵絵に挨拶をしにいきました。「群魚図(蛸)」の左下のアンコウ(?)に「久しぶり」、親ダコにしがみつく子ダコに「こんにちは」、「池辺郡虫図」の愛すべき小さきものたち、特に右上の蛇に「また会えたね」と。頭おかしくてけっこう、わたしはこの30幅の中でもこの3人(ついに擬人化)が大好きなのです。300年前の日本画とは思えないユーモラスな表情にわたしはゾッコンLOVEなのです。それから一幅一幅、時間をかけて観て回りました。何度観ても飽きることなんてないんですから。
すぐに人がどんどん増えてきて、どの画の前もたくさんの人で埋め尽くされるようになりました。わたしは再び展示室の中央に移動し、このパノラマにしばし酔いしれました。ああ、人が少ないときに観られて本当によかった。10人もいない展示室で、この神々しい画たちに囲まれたときのあの気分をわたしはたぶん一生忘れない。
ふと見ると、作務衣(?)姿の青年が誰かに解説をしていました。相国寺の人(お坊さんではないらしいけれど、お偉いさんのような人たちに挨拶をしていたので跡取りなのかも)らしく、わたしもすいーっとそばに寄って聞き耳を立てます。
「この枝がこんなふうになっているなんて自然界ではありえないし、同じ四季にいるはずのないものを同じ画の中に描きこんでいる。これは死後の世界を表しているからなのです」
若冲は、死者を供養するためにこの動植綵絵を奉納したといいます。死者とは人間だけではなく、この世に生きとし生けるものすべて。小さきものへの愛情を死ぬまで忘れることのなかった若冲の優しい視線が、この画にはあふれているのです。
もう入場制限がかかっているらしく、そうとう混雑してきた展示室。ひと通り観た、涙を流して感動した、でもこの部屋から出られない。次はいつ会えるかわからない。もう、二度と観られないかもしれない。そう思うと胸を射られるほどつらくて、人ごみをかき分けて前述の3人(アンコウ、子ダコ、蛇)に「さよなら」を言った後もその場から立ち去ることができずにいました。

思い出ずっとずっと忘れない空 ふたりが離れていっても
こんな好きな人に 出逢う季節二度とない

入場前にエンドレスで聴いていたあのアイドルソングが、頭の中でしつこくリフレインを繰り返します。今の気分に、なんてぴったりなんだろう。ああ、本気で泣きそうになるよ。

きっとそっと思い届く
信じることがすべて Love so sweet

うん、120年後なんて言わず、わたしが生きてるうちに会える。信じて待ってるから、ずっと。
わたしは思い切ってきびすを返し、そのまま二度と振り返らずに展示室を後にしました。時刻は11時。たっぷり1時間の逢瀬は、ここで終わりを告げたのです。


変なまとめ方してすいません。でもここに書いてあることは1ミリの誇張もなく、実話なんですよ。若冲、あいしてる。