セツナレンサ

昔、ブログもツイッターもなかったころ、ぽつぽつとしたためていたweb上の日記をたまに読み返している。過去ばっかり振り返るのは今に自信がない証拠ってそんなのわかってるんだけど、昔のわたしがどんなものをみて、どんなふうに感じていたのかを知りたくて、つたない文章に胃もたれ起こしながら紐解いてゆく。もう忘れてしまった名前、今となっては行方不明の誰かからのもらいもの、そしてこれだけは昔から変わらない、わたしの放蕩娘っぷり。あのとき一緒に同じものを観ていた友達は、今はどこにいるんだろう。元気でいるだろうか。今は何が好きなんだろう。もう、何かを追いかけることはなくなってしまったかな。
わたしは淋しがりやのくせに消極的でずぼらなので、一時期濃密な付き合いをしていた人と、ある瞬間にすっぱりと縁が切れてしまうことがよくある。そしてそれを振り返って、わたしはとんでもなく冷酷な人間なんだろうか、別に拒絶しているわけでもケンカ別れしたわけでもないのに、どうしていきなり疎遠になってしまうのだろうと切なく思う。わかっているのだ、みんな歳を重ねればそれぞれのコミュニティができ、それぞれの生活が訪れるのだと。しかし、ゆるやかにずっとつながっていたいと思うことは、贅沢な願いなのだろうか。
どんなコミュニティにも溶け込めて、常にたくさんの友達に囲まれていて、何か困ったことがあればすぐにいろんな人づてで解決できてしまう、そんなすごい属性を持つ人がわたしのまわりにはたくさんいる。どうしたらそんなことができるのだろう。わたしの友達を別の友達に紹介したら、わたしよりもその友達同士が仲良くなってしまって、なんだろうわたし仲人だったのかな…?ってじっと手を見てしまうことがよくある。何かに属せないのは性分だから仕方ないのだけど、ちょっとがんばってみようとしてもやっぱり空回ってしまって、いいやー別に群れるの好きじゃないし…とひとりで強がる、そのくりかえし。小学校受験のときにみんなで花いちもんめしましょうっていう試験があって、知らない子に混じることができなくてわいわい遊ぶみんなを輪から外れてぽつんと眺めていた、あの頃の気持ちを思いだしてしまう。
あれ?なんでパンドラの箱開いちゃったかな?ああそうだ、自分で開けたんだった。テヘ☆ 何にも縛られたくないわたしにぴったりなのは「自由な精神を持っていて、ある程度は常識を逸脱できる懐の広さがある人」なんだって!いないよね!なかなか!自由×自由だとなんだかふたりして宇宙に飛び出しちゃいそうだけどだいじょうぶかな。って心配できる段階に早く行きたいYO!そこにはいくら払えば到達できますか!金なら出す!!(最低